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【原発事故の被災地で名物が復活】川俣町山木屋地区で納豆づくりを始めた男性・福島

2024年4月4日 18:50
【原発事故の被災地で名物が復活】川俣町山木屋地区で納豆づくりを始めた男性・福島
原発事故の被災地で納豆づくりを始めた男性がいます。

納豆は、地元の名物でしたが、多くの困難で製造がストップしていました。
この名物の味を復活させようと動いた男性の思いに迫りました。
川俣町の山木屋地区で、朝から仕込みに汗を流すのは、影山一也さん(41)。

■山乃屋 影山 一也さん
「やるならやっぱり前からあった納豆を引き継いで、やっていったほうがいいのかなという思いでここで再開した。山木屋という地区を活性化させたいなというのが一番の思い」

影山さんが作っているのは「納豆」、山木屋地区の名物で地元の誇りです。
山木屋地区で納豆が誕生したのは、今から20年以上も前のこと。自動車部品工場=「カミノ製作所」の新事業として、納豆づくりが始まります。
当時としては珍しい、いわゆる「二毛作ビジネス」。話題性もあり、あっという間に地元の名物となりました。
ただ、原発事故により、工場のある山木屋地区は、一時、避難指示区域となり、納豆づくりの歴史が途絶えてしまいます。
その後、2017年に避難指示が解除され、納豆づくりが再開したとき、「カミノ製作所」に入社したのが、影山さんでした。
ところが、原発事故による避難もあって、従業員の高齢化が急速に進み、再開から4年後、納豆づくりの歴史に幕を下ろすことになりました。
一度は、別の事業者が納豆づくりを引き継ぎますが、あえなく撤退。すると、影山さんのところに、ある声が届くようになりました。

■山乃屋 影山 一也さん
「「(山木屋地区で)納豆がなくなるのはさびしいから続けてもらえれば」という話がいろんなところから入ってきて」

「山木屋の納豆が食べたい」そんな声に答えようと、影山さんは、一念発起し、2023年4月、個人事業主として、納豆づくりを再開したのです。

■山乃屋 影山 一也さん
「(卸先から)引き合いが来たときとかうれしいが、ここに買いに来てくれたお客さんがいつもおいしい納豆ありがとうねって言っていただけることがやっぱり一番のうれしさ」

従業員は、影山さんたった1人。パッケージデザインから営業活動まで、なんでも1人で行います。

■山乃屋 影山 一也さん
「山木屋を全国に良いところなんだというのを発信していければと思いながらこれからもやっていければ」

名物の「納豆」が、これから先も誇りであり続けるために。
影山さんはこれからも「ここで」、納豆を作り続けます。
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