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処理水放出から約半年…不安の声とどう向き合うか #福島へのエール

2024年3月8日 12:00
処理水放出から約半年…不安の声とどう向き合うか #福島へのエール

漁業者の怒りのワケは?原発で相次ぐトラブル

「非常に社会の関心も高い中で、こうしたことを起こしてしまったことは大変、申し訳ないことだと思っている」

東京電力・福島第一原子力発電所の所長は、この日、福島県庁で“お詫び行脚”をしていた。原発で汚染水を浄化する装置から、セシウムなどの放射性物質を含む水が漏れ出るトラブルがあったからだ。2023年10月には、放射性物質を含む液体を作業員が浴びるトラブルがあった。処理水の海洋放出が2023年8月に始まって約半年が経つが、目立ったトラブルが構内で起きるのはこれが2度目となる。

「(処理水の放出は)これから30年でしょ?まだ半年しか出していないのに、こういう人的なミスっていうのは、気が緩んできたんじゃないかなと。緊張感がないんじゃないかなと思う」

地元・福島県いわき市の漁師も怒りをにじませる。トラブルが起きる度に、恐れていた風評被害が起きてしまうのではないか。30年から40年かかるといわれる処理水放出のなかで、漁業関係者の緊張が途切れることはないのだ。

福島の水産物…不安に感じるが2割

福島中央テレビはYahoo!ニュースと共同で、2024年2月5日と6日の期間、全国の男女3000人にアンケートを行った。

福島県産の水産物の安全に関するイメージを質問したところ、結果は図の通りとなった。このほか、福島県産の水産物を食べたいか質問をしたところ「食べたい」が約5割、「食べたくない」が約1割、「どちらでもない」が約4割となった。科学的に安全と言われている福島県の水産物に対して理解や応援が広がる一方で、「不安・食べたくない」という声が一定数あるのも事実である。消費者に疑念を持たれるようなトラブルや事故が原発構内で発生すれば、「どちらでもない」と回答した人たちを含め「不安・食べたくない」という考えに変わってしまうことは想像に難くない。廃炉作業や処理水の放出が、30年から40年続くとされるなか、福島の漁業者は、消費者の不安とも向き合いながら、薄氷を踏む思いで毎日海へ出ているのだ。

“二度と失敗は繰り返しません” その町はかつて…

「慰霊碑があるところに向かいます。ここが一番汚染がひどかったところなんですけど」

この町で起きた悲劇について話をしてくれるのは、熊本県水俣市の杉本肇さん(63)だ。

「二度と失敗は繰り返しませんというような文言があると思う」

神妙な語り口で話すそれは、1956年(昭和31年)地元の大企業「チッソ」の工場排水が原因で発生した水俣病のことだ。工場排水に含まれる有毒なメチル水銀は、周辺の海を汚染し、魚介類に壊滅的な被害をもたらしただけではなく、それを食べた人々に障害をあたえ多くの人が犠牲となった。

「小学校2年生の時には、おじいさんが亡くなってしまいました。水俣病で。非常にショッキングだった」

杉本さんも、祖父母と両親が水俣病で苦しみ、過酷な闘病を目の当たりにしてきた。この出来事を後世に残そうと、語り部として全国各地を飛び回っている。これまでに福島県内にも足を運び、交流も続けている。そんな杉本さんの本業は漁師。シラスやイリコを水揚げしていて、もう30年になるという。幼いころから海は身近な存在で、海を端にした凄惨な体験があるからこそ、福島第一原発の処理水の海洋放出を気にかけていたと振り返る。

「水俣から来たと言えば…」風評被害はいまも

工場排水に含まれるメチル水銀が周辺の海を汚染するなか、1974年(昭和49年)熊本県は汚染された魚を封じ込めるため、巨大な網で湾内を囲む「仕切り網」を設ける措置を講じた。その甲斐あって、水俣市の近海では魚の安全が科学的に確認され、魚をとることも食べることも認められたという。ただ、杉本さんの表情はかたい。

「なかなか困難を極めましたね。水俣産とつくともちろん売れないし、農産物も売れない時代があって。今でも水俣のものというと、顔をしかめる人もいますし、それは魚以外だって、どっから来たの?と言われて、“水俣から”となれば、すっと通り去ってしまう人もいますので」

実害だけではなく、科学的に安全であることが確認されたとしても、魚が売れないという風評で苦しんだ経験が、水俣にもあったのだ。水俣病の発生後、環境回復事業の効果もあって、魚の水銀の量は規制値を下回り、1997年(平成9年)に熊本県は「安全宣言」を発表した。仕切り網も解除され、徐々に魚の流通や安全に関する理解が広がっていくことになる。ただ、約70年経ったいまも、不安の声が無くなっていないのが現実だと杉本さんは話す。

「子どもに食べさせたい」水俣で人気の漁師市

風が強く肌寒かったこの日、水俣市の海辺には朝早くから行列ができていた。月に1回、地元の漁師がとった魚を直接販売する「漁師市」が目当てだ。

「福島の魚はうらやましい。漁場も違うし、とれる量も違う。こっちもいろいろ昔はあったが、今は安定してきた。皆さんがどういう風に思うか分からないが、我々はそうであっても、頑張らないといけない。いろいろな事があっても、食うためには仕事をしないと」

水俣の漁師にとって、福島の漁場は憧れの存在。復興に向かって歩む福島の漁場をみて「自分たちも頑張らないと」と、とれたての魚を並べる。「漁師市」は、始まるとものの数十分で完売御礼となる盛況ぶりだった。「子どもに食べさせたい」と老若男女が魚を手に取る。水俣市で不安の声がある一方で、理解が広がっているのも確かなようだ。

「理解をしてもらうためには、裏付けがあることが一番大切だと思います」

消費者の理解を広め、不安と向き合ってきた経緯を、杉本さんはそう振り返る。「徹底したモニタリングを続けていくことは、自信を持って売る力にもなるし、それしかない」水俣病の発生からもうすぐ70年が経つが、地元では今も魚の水銀調査が続けられ、科学的な安全の裏付けを続けているという。

風評を経験した杉本さんも、不安をゼロにするのは難しいと口にする。しかしモニタリングを続けて安全を積み上げていくことは、自信を持って魚を売る糧となり、不安を払しょくする土台になったと言う。

「不安だと感じるのは人それぞれの考えだから仕方がないですよ。ゼロにはできない。ただ歴史的にその不安の形は変わっていくだろうし、調査をしていることで、安全なんだよと言えることは確かですよね」

水俣病で苦汁をなめ続けてきた杉本さんは、その経験から“福島の漁業が目指す方向性は間違っていない”と断言する。

「福島もいろんなデータを持ち寄って、モニタリングもやっていると思う。その経験、蓄積が不安の払しょくに繋がるので、ぜひやり続けていってほしい」

福島の漁業の取り組みをみて、杉本さんは福島の海の復興に大きな期待を寄せる。

「(福島のいまを)知ることも大事。思いを寄せるってそういうことだと思うんですよね。福島の魚は応援したいし、食べたいです。ヒラメとかおいしそう!」

すこし日に焼けたその笑顔には、同じ漁師として、経験者として、福島の漁業を応援したいという杉本さんの強い思いが感じられた。

消費者・漁業者の期待を裏切らないよう覚悟を再確認すべし

2023年の福島県の水揚げ量は、東日本大震災と原発事故後、最も多くなった。処理水の海洋放出という不安要素がありながらも、福島の漁業は着実に、そして大きく復興へ向けて歩みを進めている。2023年8月の処理水の放出直前、東京電力は記者団に対し「安心して漁業を継続できるようにというのが関係者の願いだと認識している。風評を起こさないという強い覚悟、責任を果たしていくことが重要だと考えている」と語ったが、放出からわずか半年あまりで2度のトラブル。30~40年続く廃炉作業と処理水放出のなかで、些細なトラブルが福島の漁業が向き合った努力を水の泡にする恐れがあることを改めて肝に銘じて作業に当たって欲しい。


この記事は福島中央テレビとYahoo!ニュースによる共同連携企画です。調査は2月5~6日、全国のYahoo! JAPANユーザー3000人を対象に実施しました。年齢・性別・居住地という 3つの属性に基づき、回答者の構成が日本の人口分布に沿うように処理を施しました。