【平和を学ぶ】爆心直下の本川小学校 広島市
広島市内の6件の被爆建物が「国の史跡」に指定されることになりました。今回の「つなぐヒロシマ」は、その中のひとつ広島市立本川小学校。かつての「本川国民学校」の校舎に焦点を当てました。
広島市立本川小学校。爆心地に最も近い小学校は、今年創立150年を迎えました。爆心地から400メートル余り。鉄筋コンクリート3階建ての校舎は、骨格を残して全焼しました。残された校舎は「国の史跡」に間もなく指定されます。そしてそれは、原爆による被害を今にとどめ、資料館として「あの日」の惨状を伝えています。外国人観光客の姿も絶えません。
■観光客
「わかるでしょ。小学生ですよ。当時こんなことが起きたなんて。非常に悲しい」
「原爆の日」を前にした8月4日。本川小学校の登校日です。
「あの日」校内で原爆の直撃でなくなった児童は、およそ400人に達します。校庭では、数多の遺体が焼かれました。
■被爆者 飯田 国彦さん
「きょうはみなさんに原爆の本当の恐ろしさを聞いてほしい。」
3歳で被爆した飯田 国彦さんは81歳。身内を全員失い、原爆孤児となりました。この日は、全校児童が飯田さんの話に耳を傾けました。その記憶は、今も鮮烈です。
■被爆者 飯田 国彦さん
「81歳を過ぎた今でもお母ちゃんたすけてー、と声が出ることがあります」
そして児童たちは、飯田さんに手紙を書き、自らの思いを伝えます。戦争のおそろしさ。核なき世界をつくっていきます。
■本川小学校4年生 和田 知帆 教諭
「感情ではなく事実を伝えるところが今は大きい。子どもたちがどんなふうに感じて自分たちの言葉で伝えていくかが大事。」
そして「原爆の日」の前日、校庭では盆踊りです。盆踊りは、本来盆に帰ってきた霊を慰める行事です。
■本川小学校 築地 陽子 校長
「たくさんの方々が亡くなったことを心にとめながら慰霊とこれからの平和2つの気持ちでむかえてほしい」
そして、平和を願う思いを書いた「灯籠」を校庭にならべ、「原爆の日」を迎えます。
先月、平和教育の一環として、発表会が開かれました。学年ごとに取り組んだテーマを発表します。
■小学2年生
「広島市ではじめての鉄筋コンクリートの校舎」
「3階建 アーチ型の窓」
「かっこいいみんなの自慢の学校でした」
児童らは「国の史跡」に指定されることになった校舎や、生き残った先輩の体験について発表しました。爆心地に最も近い小学校で紡ぐ、78年前の「あの日」との「絆」です。
■小学1年生
「原爆はどれくらいひどく爆発したのか勉強したい」
■母
「いろいろ知って自分から行動できる子になってほしい」
■小学6年生
「6年間積み重ねてきたので悔いは残っていません」
■母
「6年間通して平和学習をするということは、すごく子どもにとっては勉強になるこれから世界に向けて平和を発信してほしい」
校舎が劫火に包まれた「あの日」から78年余り。爆心地に一番近い小学校での平和への取り組みは、これからも色褪せることはないはずです。
【2023年11月7日 放送】