中高生がつなぐ被爆者の記憶 中高生が小学生に伝える被爆者の体験 広島
92歳の被爆者の体験を中高生たちが伝えた。
およそ1000人が通う県立広島皆実高校。
戦時中は県立広島第一高等女学校でした。
植田ノリ子さん。
松坂緑さん。
先月、母校を訪れました。
後輩たちに被爆体験を伝えるためです。
当時、2年生だった2人は学徒動員の作業のため、爆心地から1.8キロの場所にいました。
■植田さん
「点呼をとっている時に原爆が落ちました。ピカーっと強烈に光ったけどあっというぐらい…」
同じ学校に通っていた植田さんの一つ下の妹。
作業をしていた1年生223人が犠牲になりました。
■松坂さん
「自分のことは孫にも話したことがないけど話しておかないといけないと思っています」
生きているうちに後輩たちへ。松阪さんが体験を語るのはこの日が初めてです。
■生徒
「昭和天皇による終戦を告げる玉音放送は聞きましたか?」
■松坂さん
「私はその時なぜ天皇陛下はもう少し早くやめてくれなかったのかそしたら母や弟が亡くならずにすんだのになと一番に思った」
■2年生 瀧谷篤生さん
「当事者にしかわからない気持ちはあると思うが何とか汲み取って伝えないといけない使命感を抱いた」
学校の先輩から被爆体験を受け継ぐこの取り組み。生徒が進行役を務め、2人の被爆体験を小学生たちに伝えます。
■生徒会長 越智祐葵さん
「原爆の後に体調や生活で困ったことはあったか?また心配なことはあったか?というのが1つ」「2つ目が長崎に原爆が落ちた時どう思ったか?というのが2つ目」
植田さんと松坂さんが一番伝えたい思いは何なのか…
それをどんな質問で引き出すのか。
意見を出し合います。
■生徒会長 越智祐葵さん
「当日でも同じような内容に加えて新しいことも語ってもらえたらと思う」
本番の日。小学生や地元の住民ら50人が集まりました。
■被爆者入場
♪拍手(3:19)□質問者→植田さん
最初の質問。
原爆で妹を亡くした植田さんに聞いたのは、戦時中の日常の平和について…
■学生
「妹の石崎睦子さんとの忘れられない思い出は?」
■植田さん
「ああ~これよく聞いてくれた。アブラムシの卵皆さんご存じ?小さな可愛らしい「これ綺麗だね集めよう」って(アブラムシが出てくるなんて思いもしないから)たくさん二人で集めて机の引き出しに入れていたそれがある日孵ってびっくりした。妹との本当に忘れられない思い出」
これまで体験を語ってこなかった松坂さんもあの日、家族との暮らしが一瞬で消え去りました。
■松坂さん
「ピカーっというすごい光とものすごい風が吹いて地面に伏した。それがおさまったときに隣の友達が「逃げようや」と言ったので私は前後の見境もなく逃げ出してしまいました。「(広島市西区の)己斐まで逃げて家が心配になって福島町の方に歩いていたらとても道が熱くて燃えているわけではないけど空気がすごく熱くて前に進めなかったので諦めて高須の親戚の家へ帰った」「父が突然しょんぼりと本当に寂しそうな顔をして私のいるおばの家にやってきた。「お母ちゃんもヒロシ(弟)もダメだったよ」と一言言った私はそれで大泣きでした」
話を聞いた子どもたちは…
■小学3年生
「家族を亡くしたら本当に悲しい」
■小学6年生
「私ももし妹とかお父さん家族や知り合いが亡くなったら嫌だから戦争とか核兵器がなくなってほしい」
■中学2年生
「自分の周りというより世界が平和であってほしい」
「大切な人を失う悲しさ」
2人が体験が次の世代に受け継がれます。
【2024年8月6日 放送】