【会見全文】黒田博樹さん野球殿堂入り「いま改めて、カープに入ってよかった」
Q.殿堂入りが決まって、今の率直なお気持ち聞かせてください。
■黒田博樹さん
そうですね。やはり本当に今までの野球人生を振り返っても、本当に自分が選ばれていいのかなっていうのが、1番の感想です。
Q.日米通算203勝をあげたプロ20年間というのは、黒田さんにとってはどんな時間でしたか。
■黒田博樹さん
そうですね。自分の中では、本当にあっという間というか、20年間があっという間に過ぎ去って、その1年1年、1試合1試合がもう必死で投げてた積み重ねだと思うんで、20年間あっという間に、ここまで来たなという感じですね。
Q.日本ではカープでプレーされました。黒田さんにとって、カープという球団・チームは、どういうチームでしたか。
■黒田博樹さん
そうですね。カープに入団してなければ、今日のような日を迎えることもなかったと思いますし、その中ではやっぱり僕の野球人生の中でも、 カープ入団というのは、非常に大きな出来事だったと思いますし、やはり最後にね、ああいう形で優勝もできましたし、本当に今改めて、カープに入ってよかったなって感じてます。
Q.スピーチにもあった山本浩二さんとの出会いというのは、黒田さんにとってどういったところを成長させて、変えてくれたんですか。
■黒田博樹さん
やはり山本浩二さんも、先ほどスピーチでおっしゃってましたけど、なかなか代えてもらえないというか、1度マウンドに上がると、少々のことでは、もちろんそのチーム事情もありましたし、その中でなかなかマウンドを降りることを許してもらえないというか、その当時は苦しかったですけど、今考えると、やはり僕の中ではああいう経験が、やっぱり40歳まで、一線で投げ続けれた要因かなと思います。
Q.「ミスター完投」とも呼ばれた黒田さんですけれども、先発としてのこだわり、そして最後まで投げ抜くというこだわり、ご自身の中ではどういった考えがあったんでしょうか。
■黒田博樹さん
始めは、そこまでこだわりはなかったんですけど、やはり山本浩二さんとの出会いで、エースとして最後まで投げ抜くという精神を叩き込んでもらえたという気がしますね。
Q.そして、アメリカでも7年間プレーして79勝。アメリカで得たものというのは、どういったことですか。
■黒田博樹さん
私がアメリカ行った時は、そこまで鳴り物入りというか、そういう形でアメリカに渡ったわけではなく、30歳過ぎてからだったんで。ただ、自分の中で1番考えていたのは、そのチームにとってどれだけフィットできるか、チームにとってどれだけ必要とされるピッチャーになるか、ということを常に頭に入れて、7年間投げてきたと思います。
Q.黒田さんもドジャースで投げられましたけれども、このオフ大谷翔平投手もドジャース移籍ということになりました。大谷投手の活躍、そして今シーズンのエールというのを聞かせていただいてもいいですか。
■黒田博樹さん
僕が言える立場じゃないと思いますけど。アメリカの中でもトッププレイヤーになってしまったんで、僕たちがいちいち言えることではないかもわからないですけど。ただ、日本の代表として、彼もたくさんのものを背負って、グラウンドに立ってると思うんで、そういう部分では大変だと思うんですけど、今後また日本からアメリカに行く選手に、少しでも勇気を与えられるように頑張ってほしいなと思います。
Q.大谷選手を始め、山本投手、今永投手など、本当に日本人投手がアメリカでも高く評価されてますけれども、こういったことを黒田さんは、どうご覧になってますか。
■黒田博樹さん
アメリカメジャーリーグを経験したピッチャーからすると、非常に嬉しいですし、また、彼らが次の世代のために、今アメリカで頑張らないといけないと思いますし、そういう気持ちでやれば自ずといい成績を残してくれるんじゃないかなと思ってます。
Q.今回の野球殿堂、谷繁さんと共に選出ということになりましたけれども、 バッター谷繁さんというのは、現役時代いかがでしたか。
■黒田博樹さん
非常に頭のいい方なんで、キャッチャーとしてもそうですけど、バッターとしても、非常に頭のいい人なんで。僕が多分、記憶に残ってるのは、当時名古屋ドームですかね、カウントがバッター有利のカウントだったと思うんですけど、まっすぐストレートを1本で狙われて、そのままスタンドに打たれたっていうのを、すごく記憶に残ってます。
Q.それでは、今後プロ野球界にとって、野球殿堂入りした黒田さんが、どういった貢献をされるのか、非常に皆さん楽しみだと思いますが、どうお考えですか。
■黒田博樹さん
自分なりに自分のできる範囲で、日本の野球もちろんそうです けど、力になっていければいいかなと思いますし、またこれからたくさんの若い選手がいい選手がどんどん出てくると思うんで、時代が多少変わってきてる部分もあるかもわからないですけど、そういう手助けをしていければいいかなと思ってます。
Q.先ほど大谷選手の話もあったと思うんですけども、OBとして改めてドジャース入りが決まった時にどう感じましたか。
■黒田博樹さん
そうですね。やっぱり契約内容も含め、すごい契約をしたんだなっていうのと、ドジャースももちろん、私がいた球団だったんで、その日本人スタッフとか、いろんなスカウトの方とかと、いろんな交流がある中で、そういう人たちが非常に喜んでたっていうのを、僕の中では、すごく良かったなっていう気持ちにはなりましたけどね。
Q.大谷選手に加えて、山本投手もドジャースに入りましたけども、日本人選手が同じチームにいるっていうのは、黒田さんもヤンキース時代に、イチローさんとか、田中将大投手と一緒にプレーされました。そのメリットっていうのは、具定的に何かありますか。
■黒田博樹さん
メリットは、やはり山本投手からすると、大谷選手、一度、今シーズンはですがね、マウンドにあがるっていうのは、なかなか難しいと思いますけど、ただ、ピッチャーとしてのいろんなアドバイスを聞けるっていうのは、非常に大きいんじゃないかなと思いますね。
Q.黒田さんがアメリカに渡られた2008年に、ツーシームをマダックス選手から学んだと思うんですけど、多分、シーズンのタイミングでしか、彼から聞けなかったと思うんですが、それによって、おそらくその後の野球人生変わったと思うんですけども、あの時の出来事、今振り返ってみて、どう役に立ってて、どんな感情でしょうか。
■黒田博樹さん
そうですね。マダックス投手も1年間だけだったんですが、1年もいなかったですね。トレードで来て、半年ぐらいだったと思うんですが、ただ、やはりいろんなことを僕はもう吸収していかないと、アメリカっていう世界では、生きていけないと思ったんで、いろんなものを吸収しようという中で、マダックスにツーシームだけじゃなくて、バッターに対してのアプローチの仕方とか、そういうのをたくさん学びましたし、もちろんマダックスだけじゃなくて、たくさんのコーチ始め、プレイヤーからいろんなものを吸収しようと思って。僕自身は、33歳ぐらいで入ってるんで、もう時間がないっていうのが1番だったんで、吸収できるものは全て吸収していこうっていう、そういう貪欲さが、僕にとってはプラスになったと思います。
Q.先ほどカープに対する愛と言いますか、カープに入って本当に良かった というお話がありましたが、現役最晩年に、2014年のオフですね。カープに戻って来られた時の決断と、その後25年ぶりの優勝に 貢献された。今振り返って、黒田さんにとって、どういうことだったのか改めて伺いたいんですが。
■黒田博樹さん
そうですね。決断というか、決断した時は自分の中では、全くちょっとパニックというか、期限も決まってましたし、どういう状況でどういう判断をしたかっていうのも、ほぼ覚えてないような状況でしたけど。でもこうやって、シーズン現役生活を終えて、数年経っても、やはりファンの人たちは、すごく応援もしてくれますし、声もかけてくれるんで。そういった意味では、やはりたくさん悩みましたけど、そうやって帰ってきたことに対して、自分の中では、正解と思って帰ってきたんですが、改めて引退して、こういう形で、この場に来られたのも、やはりカープのおかげなんで。そういう意味では、自分の決断してきたことは、間違いじゃなかったなっていうのは、改めて感じてます。
【2024年1月18日】
■黒田博樹さん
そうですね。やはり本当に今までの野球人生を振り返っても、本当に自分が選ばれていいのかなっていうのが、1番の感想です。
Q.日米通算203勝をあげたプロ20年間というのは、黒田さんにとってはどんな時間でしたか。
■黒田博樹さん
そうですね。自分の中では、本当にあっという間というか、20年間があっという間に過ぎ去って、その1年1年、1試合1試合がもう必死で投げてた積み重ねだと思うんで、20年間あっという間に、ここまで来たなという感じですね。
Q.日本ではカープでプレーされました。黒田さんにとって、カープという球団・チームは、どういうチームでしたか。
■黒田博樹さん
そうですね。カープに入団してなければ、今日のような日を迎えることもなかったと思いますし、その中ではやっぱり僕の野球人生の中でも、 カープ入団というのは、非常に大きな出来事だったと思いますし、やはり最後にね、ああいう形で優勝もできましたし、本当に今改めて、カープに入ってよかったなって感じてます。
Q.スピーチにもあった山本浩二さんとの出会いというのは、黒田さんにとってどういったところを成長させて、変えてくれたんですか。
■黒田博樹さん
やはり山本浩二さんも、先ほどスピーチでおっしゃってましたけど、なかなか代えてもらえないというか、1度マウンドに上がると、少々のことでは、もちろんそのチーム事情もありましたし、その中でなかなかマウンドを降りることを許してもらえないというか、その当時は苦しかったですけど、今考えると、やはり僕の中ではああいう経験が、やっぱり40歳まで、一線で投げ続けれた要因かなと思います。
Q.「ミスター完投」とも呼ばれた黒田さんですけれども、先発としてのこだわり、そして最後まで投げ抜くというこだわり、ご自身の中ではどういった考えがあったんでしょうか。
■黒田博樹さん
始めは、そこまでこだわりはなかったんですけど、やはり山本浩二さんとの出会いで、エースとして最後まで投げ抜くという精神を叩き込んでもらえたという気がしますね。
Q.そして、アメリカでも7年間プレーして79勝。アメリカで得たものというのは、どういったことですか。
■黒田博樹さん
私がアメリカ行った時は、そこまで鳴り物入りというか、そういう形でアメリカに渡ったわけではなく、30歳過ぎてからだったんで。ただ、自分の中で1番考えていたのは、そのチームにとってどれだけフィットできるか、チームにとってどれだけ必要とされるピッチャーになるか、ということを常に頭に入れて、7年間投げてきたと思います。
Q.黒田さんもドジャースで投げられましたけれども、このオフ大谷翔平投手もドジャース移籍ということになりました。大谷投手の活躍、そして今シーズンのエールというのを聞かせていただいてもいいですか。
■黒田博樹さん
僕が言える立場じゃないと思いますけど。アメリカの中でもトッププレイヤーになってしまったんで、僕たちがいちいち言えることではないかもわからないですけど。ただ、日本の代表として、彼もたくさんのものを背負って、グラウンドに立ってると思うんで、そういう部分では大変だと思うんですけど、今後また日本からアメリカに行く選手に、少しでも勇気を与えられるように頑張ってほしいなと思います。
Q.大谷選手を始め、山本投手、今永投手など、本当に日本人投手がアメリカでも高く評価されてますけれども、こういったことを黒田さんは、どうご覧になってますか。
■黒田博樹さん
アメリカメジャーリーグを経験したピッチャーからすると、非常に嬉しいですし、また、彼らが次の世代のために、今アメリカで頑張らないといけないと思いますし、そういう気持ちでやれば自ずといい成績を残してくれるんじゃないかなと思ってます。
Q.今回の野球殿堂、谷繁さんと共に選出ということになりましたけれども、 バッター谷繁さんというのは、現役時代いかがでしたか。
■黒田博樹さん
非常に頭のいい方なんで、キャッチャーとしてもそうですけど、バッターとしても、非常に頭のいい人なんで。僕が多分、記憶に残ってるのは、当時名古屋ドームですかね、カウントがバッター有利のカウントだったと思うんですけど、まっすぐストレートを1本で狙われて、そのままスタンドに打たれたっていうのを、すごく記憶に残ってます。
Q.それでは、今後プロ野球界にとって、野球殿堂入りした黒田さんが、どういった貢献をされるのか、非常に皆さん楽しみだと思いますが、どうお考えですか。
■黒田博樹さん
自分なりに自分のできる範囲で、日本の野球もちろんそうです けど、力になっていければいいかなと思いますし、またこれからたくさんの若い選手がいい選手がどんどん出てくると思うんで、時代が多少変わってきてる部分もあるかもわからないですけど、そういう手助けをしていければいいかなと思ってます。
Q.先ほど大谷選手の話もあったと思うんですけども、OBとして改めてドジャース入りが決まった時にどう感じましたか。
■黒田博樹さん
そうですね。やっぱり契約内容も含め、すごい契約をしたんだなっていうのと、ドジャースももちろん、私がいた球団だったんで、その日本人スタッフとか、いろんなスカウトの方とかと、いろんな交流がある中で、そういう人たちが非常に喜んでたっていうのを、僕の中では、すごく良かったなっていう気持ちにはなりましたけどね。
Q.大谷選手に加えて、山本投手もドジャースに入りましたけども、日本人選手が同じチームにいるっていうのは、黒田さんもヤンキース時代に、イチローさんとか、田中将大投手と一緒にプレーされました。そのメリットっていうのは、具定的に何かありますか。
■黒田博樹さん
メリットは、やはり山本投手からすると、大谷選手、一度、今シーズンはですがね、マウンドにあがるっていうのは、なかなか難しいと思いますけど、ただ、ピッチャーとしてのいろんなアドバイスを聞けるっていうのは、非常に大きいんじゃないかなと思いますね。
Q.黒田さんがアメリカに渡られた2008年に、ツーシームをマダックス選手から学んだと思うんですけど、多分、シーズンのタイミングでしか、彼から聞けなかったと思うんですが、それによって、おそらくその後の野球人生変わったと思うんですけども、あの時の出来事、今振り返ってみて、どう役に立ってて、どんな感情でしょうか。
■黒田博樹さん
そうですね。マダックス投手も1年間だけだったんですが、1年もいなかったですね。トレードで来て、半年ぐらいだったと思うんですが、ただ、やはりいろんなことを僕はもう吸収していかないと、アメリカっていう世界では、生きていけないと思ったんで、いろんなものを吸収しようという中で、マダックスにツーシームだけじゃなくて、バッターに対してのアプローチの仕方とか、そういうのをたくさん学びましたし、もちろんマダックスだけじゃなくて、たくさんのコーチ始め、プレイヤーからいろんなものを吸収しようと思って。僕自身は、33歳ぐらいで入ってるんで、もう時間がないっていうのが1番だったんで、吸収できるものは全て吸収していこうっていう、そういう貪欲さが、僕にとってはプラスになったと思います。
Q.先ほどカープに対する愛と言いますか、カープに入って本当に良かった というお話がありましたが、現役最晩年に、2014年のオフですね。カープに戻って来られた時の決断と、その後25年ぶりの優勝に 貢献された。今振り返って、黒田さんにとって、どういうことだったのか改めて伺いたいんですが。
■黒田博樹さん
そうですね。決断というか、決断した時は自分の中では、全くちょっとパニックというか、期限も決まってましたし、どういう状況でどういう判断をしたかっていうのも、ほぼ覚えてないような状況でしたけど。でもこうやって、シーズン現役生活を終えて、数年経っても、やはりファンの人たちは、すごく応援もしてくれますし、声もかけてくれるんで。そういった意味では、やはりたくさん悩みましたけど、そうやって帰ってきたことに対して、自分の中では、正解と思って帰ってきたんですが、改めて引退して、こういう形で、この場に来られたのも、やはりカープのおかげなんで。そういう意味では、自分の決断してきたことは、間違いじゃなかったなっていうのは、改めて感じてます。
【2024年1月18日】