【特集】実はフェンシング王国!気仙沼で未来のオリンピアン育成 パリ五輪支えた指導者
白壁里沙子 アナウンサー
「やってますね~子どもたちが剣を手に俊敏な動き!剣がぶつかり合う音も迫力があります」
去年、仙台市宮城野区に誕生したフェンシング専用施設で剣を振るのは小学1年生から5年生の小さなフェンサーたち。
みんな習い始めて1年未満だが、見事な剣さばきだ。
小学3年生
「剣が重くて難しかったけどだんだん今は慣れてきました」
「勝った時とか楽しいです」
Qなんで始めようと思ったの?
「東京オリンピックの時にフェンシングでメダルをとっていてかっこいいと思ったからです」
1年生
「オリンピック見たから」
パリオリンピックでは、男子エペ個人で加納虹輝選手が個人種目で日本初の金メダルなど日本は史上最多となる5つのメダルを獲得した。
その反響は大きく問い合わせが増えているという。
ネクサスフェンシングクラブ仙台 加藤 伊良 支配人
「テレビを見ていて気になったから、体験に行きたいや施設を見たいという問い合わせ」
白壁里沙子 アナウンサー
「外側から見ると網目が細かいのでよく見えないのかなと思ったのですが、意外と動きはよく見える。気にならないです」
フランス発祥のフェンシングは中世ヨーロッパの騎士たちの剣術にルーツがあり、ピストと呼ばれるコートで向かい合った相手の体を剣で突き勝敗を決める競技。
有効面の違いなどでエペ、フルーレ、サーブルの3種目に分かれていて1896年からオリンピックの正式種目になっている。
白壁里沙子 アナウンサー
「集中力も必要だし、駆け引きが難しくて、いついっていいのかな?というのが難しかったです。でも楽しいですね」
加藤支配人
「本当に気軽に楽しくできるスポーツなので、宮城の人にもっともっとやってもらいたい」
パリオリンピックの女子フルーレ団体では日本が銅メダル。
日本フェンシング女子で初めてのメダルを掴んだ。
その強さを支えたコーチが気仙沼出身の菅原智恵子さん。
菅原智恵子コーチ
「今回のパリではフランスの方々ってフェンシングのルール知っているんですよ。フェンシングが身近にあるので、 そういう方たちが応援もするしブーイングもするし、今までのオリンピックの中で一番の歓声の大会だった」
菅原さんは選手としても3度オリンピックに出場し女子フェンシングの礎を築いた存在だ。
菅原智恵子コーチ
「気仙沼でフェンシングを始めない限り今ここにはいないし、私を強くしてくれた周りの方々は今も気仙沼にいるので、そういった方々のおかげでその舞台に立ててオリンピックでメダルをとることができたので私だけでなく色んな人に関わっていただいてとれたメダル。あの場にいられて嬉しかった」
その原点は気仙沼にある。
現在の気仙沼高校・鼎が浦高校時代にフェンシングと出会い、最初のアテネ大会は教員として母校に勤めながらの出場だった。
その時の指導者は現在、日本フェンシング協会の会長を務める千田健一さん。
千田健一さん
「自分も磨き、また生徒にも指導してほしい」
菅原さんは選手として北京大会で女子フルーレで7位と男女を通じて日本フェンシング界初の個人入賞を果たした。
菅原智恵子コーチ
「港町なので、気性が荒いのかなと(笑)闘争本能というか戦う気持ちが強い。フェンシングって格闘技なので そういうところがマッチしたのかな」
菅原さんは2012年のロンドン大会でも7位入賞を果たし気仙沼市に凱旋。
菅原智恵子コーチ
「皆さんの応援が背中を押してくれたような気がして、最後まで頑張ることができました。感動の言葉しかありません。ありがとうございました」
菅原茂市長
「千田健太選手と菅原智恵子選手に市民栄誉賞をもらって頂きたいと思います!」
同じく気仙沼出身の千田健太さんを擁し銀メダルを獲得した男子フルーレ団体メンバーと共にパレードを行い被災地に勇気を届けた。
そしていま、気仙沼ではかつて選手として国の内外で戦っていた地元のフェンサーたちが指導者となって未来のオリンピアンを育てているのだ。
「プレ!アレ!」
「ここで突かなきゃ!来たやつに対して」
気仙沼ジュニアフェンシングクラブには20人ほどが通い切磋琢磨している。
小学5年生
「すごくコーチたちが強いからたくさん練習して強くなりたいです
小学5年生
「指導者やコーチがいっぱいいるからレッスンで新しい技を教えてくれるのがいい」
小学6年生
「今一番近い目標は全国大会で優勝できるようにがんばりたい」
「ふるさとのために選手から指導者へ」このサイクルが強さの秘密。
菅原智恵子コーチ
「気仙沼の子たちも全国大会で優勝したり活躍しているので気仙沼からでもオリンピックに行けるという子たちが育ってほしい。日本で一番になっていますので、 次は世界を目指して頑張ってほしいなという思いはあります」