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“世界平和の願いを込めて” 女子高校生の感性で被爆継承を『紙芝居動画』被爆者証言もとに作成《長崎》

2024年8月3日 22:01
“世界平和の願いを込めて” 女子高校生の感性で被爆継承を『紙芝居動画』被爆者証言もとに作成《長崎》

県内唯一の部活動「活水高校平和学習部」。

今年、被爆者の体験をもとに “紙芝居動画” の制作を試みました。

平和のバトンを託され、自分たちの言葉で伝えていきます。

▼猛暑の中でも平和活動をやめない高校生たち

日差しが照りつける長崎市の繁華街。

(高校生)
「署名お願いします」

高校生1万人署名活動のメンバーは、世界の平和を願い市民に協力を呼び掛けていました。

その中には「活水高校平和学習部」のメンバーの姿も。

(活水高校平和学習部 竹内 伶さん)
「きょうも暑いのに偉いねと声をかけてくれるので、そういう声があるからこそ、短い3年間だが続けていけるのかな」

核兵器廃絶への願いを…。

今年 “紙芝居” にしました。

高校生の感性で描き発信する『紙芝居動画』。

これからの世代がつなぐ平和です。

▼県内唯一の部活動「活水高校 平和学習部」

活水高校 平和学習部。

署名活動や海外の若い世代との交流などを通して “平和の実現を目指す”、県内唯一の部活動です。

2年生のメンバーを中心に、新たに始めたのが『紙芝居』の制作。

リーダーを任されたのは、2年生の竹内 怜さん。被爆3世です。

▼被爆3世「毎年、8月9日はこわかった」

10年前になくなった祖父の富雄さんは、“あの日” の記憶を家族に語ることはほとんどありませんでした。

ただ1人、その胸のうちを明かされていたのが、祖母の生子さんです。

(祖母 生子さん(89))
「(8月9日のことを) “みんなに教えないと、他の人は知らないでしょ” と私が夫に言ったら『思い出したくない』と言って。すごいショックだったんでしょうね。
私が聞いたのは、駅前の防空壕に入っていたと。(原爆投下の後の町が)様変わりしているからびっくりして、それから姉を探したと言うんですよ」

(活水高校平和学習部 竹内 伶さん)
「小さい頃は自分自身原爆のことについて向き合いたくなかった。毎年、8月9日はこわかったので。ちゃんと聞いておけばよかったと、平和活動をしていて改めて思った」

(祖母 生子さん(89))
「(祖父 富雄さんは)天国から見ている。応援していると思いますよ」

▼被爆体験を “女子高生の感性” でカタチにする

『紙芝居』の制作は、長崎原爆被災者協議会の被爆80年に向けたプロジェクトの一環で、90歳を迎えた松尾 幸子さんの被爆体験を形にすることに。

79年前の8月9日、松尾さんは11歳のとき、爆心地から1.3キロの岩屋山中腹で被爆しました。

(被爆者 松尾 幸子さん(90))
「ピカッと光って。何だろうか?という気持ちだった」

(高校生)
「目は開けている状態で?」

(被爆者 松尾 幸子さん(90))
「気がついて目を開けたけど、真っ暗で何も見えなかった」

竹内さんたちは、松尾さんの思いが少しでも伝わるように、何度も何度も質問し、描いたイラストも念入りに確認してもらいます。

(高校生)
「松尾さんが初めて山を下りた時の情景で、荒廃している町をイメージして描きました」

(被爆者 松尾 幸子さん(90))
「モンペはあれでよかとよ」

松尾さんは50年近くにわたって語り部活動を行ってきましたが、体調不良などで去年から、ほとんどできなくなったといいます。

多くの人に伝えたい自身の被爆体験。

その思いを、平和学習部の生徒たちに託します。

(被爆者 松尾 幸子さん(90))
「私の辛い体験を立派な紙芝居にしてくれてとても感謝です。自分ができないことをして下さているから」

(活水高校平和学習部 竹内 伶さん)
「こういうことが長崎と広島で起きているんだ。どうしてこうなったのかなと、もっと原爆について興味を持ってもらうための第一歩の作品になればいいなと思う」

▼「花で平和を表現 “平和のブーケ”」 新たな事業への提案にも挑戦

当時を体験していない自分たちにできることは…。

松尾さんとの交流を通して、メンバーたちは向き合いました。

先月 審査会で発表したのは、若者が考える来年に向けた新たな事業。

(高校生)
「今回提案する企画は “平和のブーケ”です。これは花を使って平和を表現します。
平和は大切な “贈り物” であり、それを互いに分かち合うことが大切だという重要性を強調しています」

(活水高校平和学習部 竹内 伶さん)
「私たちより下の世代の人たちは『生の被爆者の声』を聞けないので、私たちがこれからの世代に伝えていかないといけないと強く思った」

お披露目を2週間後に控えたこの日。

竹内さんたちは、紙芝居の台本を英語に翻訳していました。

イラストの作成からナレーションまで、全て手作りです。

仲間と協力して “自分たちの力” で作り上げます。

(活水高校平和学習部 竹内 伶さん)
「一から全部作り上げたという実績や経験が、これから私たち4人にとってすごいいいものになるかなというのと、松尾さんに喜んでもらいたいという気持ちがすごい一番大きい」

▼小さな行動の積み重ねが「平和な未来」つくる

そして、いよいよ お披露目の日。

(高校生)
「2024年5月、私たち高校生は被爆者の松尾幸子さんと話せる機会がありました」

(高校生)
「79年前のあの日、私は11歳の小学5年生でした。救急かばんを確認していた時のことでした。急にピカーっと白くて黄色い光で包まれました。数秒後、ドンと大きな音がして一瞬で真っ暗になりました」

ナレーションは日本語だけでなく、英語でも読み上げられました。

出来上がった動画を見た松尾さんの反応は…。

(被爆者 松尾 幸子さん(90))
「表現してくれたのは優しいが、みんなの心に響く。彼女たちがまいた種がいろんなところに広がっていくんだろうと思うのでうれしい。感謝している」

(活水高校平和学習部 竹内 伶さん)
「これからの世界を作るのは私たち若者。日本だけじゃなく世界の若者にも伝えていかないといけないと、自分自身強くこの紙芝居を作りながら思った」

小さな行動の積み重ねが、平和な未来をつくると信じて…。

被爆79年、若い世代がバトンをつないでいきます。

(被爆者 松尾 幸子さん(90))
「折り鶴に願いを込めて、世界に羽ばたいて下さい」

紙芝居の動画は、被災協のYouTubeや平和学習部のInstagramなどで公開しています。

竹内さんは別のボランティア活動で去年 ケニアを訪問していますが、今月はフィリピンへ向かい、そこで現地の子どもたちに、この紙芝居を披露するということです。