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【高知市夏季大学】地震学の研究者・大木聖子さん 『毎日を豊かにするのが防災」【高知】

2024年7月24日 18:45
【高知市夏季大学】地震学の研究者・大木聖子さん 『毎日を豊かにするのが防災」【高知】
様々な分野で活躍する著名人が講師を務める高知市夏季大学。今回は地震学の研究者・大木聖子さんです。

7月23日に講演を行ったのは、地震や防災教育を専門とする慶應義塾大学の大木聖子准教授です。大木さんは高校1年生の時に起きた阪神・淡路大震災を機に地震学を志し、2006年に東京大学大学院で博士号を取得しました。2013年からは土佐清水市の小中学校で防災アドバイザーをつとめるなど高知とも深い関わりを持っています。

講演は「日常をより良くする防災」と題して行われ、大木さんはいつか起きるかもしれない災害のためではなく、今この時を豊かに過ごすために防災を活用してほしいと呼びかけました。

大木さんはまず、立っていられないような強い揺れが発生した時に覚えておいてほしい数字を挙げました。それは、揺れが10秒程度ならマグニチュード7、1分程度ならマグニチュード8、3分程度ならマグニチュード9の規模の地震であるというもの。

大木聖子さん
「大体10秒から15秒くらいの場合はマグニチュード7が自分の真下で起きている。10秒揺れたなと思ったら情報情報、テレビつかないなとやる必要はない。みなさんはもう直下型地震だと分かっている。私だったら電車止まるな、きょう帰れないな、そしたらきょうここに残らなきゃいけないなという風に考える。もし今つながるなら171にかけておこうかな、みんなが慌てて171にかける前に。先々考えて行動できるようになる」

その後、話題は南海トラフ地震へ。2011年に発生した東日本大震災を受け、翌年に内閣府が公表した被害想定は土佐清水市にある大きな影響をもたらしました。

大木聖子さん
「コンピュータでシミュレーションすれば津波は34メートルになると。これは黒潮町と土佐清水市と和歌山県の一部もそうだが、全国の放送で自分の町を名指しされて土佐清水市は日本最大級34メートル、こういうことを突然言われた。この最悪の想定は国や地震学者からすると二度と想定外を出さない、あんなことを起こしてはいけないという思いでやったが、その結果どうなったかというとみなさん避難訓練に参加されなくなった。歴史上の最高が12メートルで、15メートルまで頑張ろうと避難訓練をやってきたのに、その倍よりまだ大きい。次の津波で死ぬからもういいとみなさんおっしゃるようになった。無理もない」

そこで大木さんは防災小説の取り組みを始め、いま全国の学校に広がっています。
防災小説は具体的な日時を設定し、その日もし南海トラフ地震が発生したら自分や家族は何をしているか、どんな気持ちかを書き記すもので、希望を持った終わり方にすることが決まりです。防災小説の効果について大木さんはこう話します。

大木聖子さん
「南海地震のことを全然わかっていない人がいい感じの未来を言ったわけではない。小学生の頃からちゃんと学習して大変さも全部分かった上でそれでも助かった自分、助かった街を書く。まだ起きていない物語を起きたかのように綴ることで、日常のかけがえのなさに気づいた。まだ起きていないのだから出来ることはいっぱいあるということに気づいた。それが防災小説の効果だったのでは」

被害想定をただ一方的に伝えて終わることは、防災にはつながらない。大木さんは土佐清水市での活動を続ける中で、その思いを強くしていきました。

大木聖子さん
「被害想定というのは、いわばシミュレーション科学の方程式が分かっていて出している。決まりきった未来の予測ではなくて、あくまでもシミュレーション。この被害想定を嘘にすることができる。そのために防災をやっている。防災というのは地震が起きた瞬間に生きるためにやっているのではなくて、それが起こるまでの毎日がいとおしい日々、その日々を守るために防災をやっている。防災というと起きた日のことを考えてしまうが、そうではなくて、毎日を豊かにするのが防災」

講演後、大木さんに「防災」の捉え方についてより詳しく聞いてみました。

大木聖子さん
「いつだか分からないものに対して備えるっていうのはすごく難しい。できなくて当たり前だと思う。防災を目的にするのではなくて、 防災をツールとして手段として使って、例えば防災教育をやることでクラスの団結力が高まったとか、家族と防災教育の話をすることで、一緒に遊んでくれなくなった年頃の子どもたちと一緒に家の中で出来ることが少し増えたとか。防災を使って今を豊かにする。少しやりやすくなるのでは」

最後に大木さんから高知県民へのメッセージです。
「防災って何だろうというのを学生たちに話すときは、防災っていうのは自分にとって大切な人や場所を増やしていくことだと言っている。私にとって高知県は大切な場所で、大切な人たちが暮らす場所。そういう人たちと一緒に何ができるかと考えることは私にとってもその人たちにとっても豊かな時間になってくる。防災はやりたくない課題なのではなくて、豊かな時間を誰かと共有するものだ。そう思って取り組んでいただければ」