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“被爆ピアノ”が奏でる平和への願い

2017年12月16日 19:38

今年のノーベル平和賞はICAN(=核兵器廃絶国際キャンペーン)が受賞した。授賞式の翌日に行われた記念コンサートでは、広島で被爆したある楽器が奏でられた。その音色に平和への願いを寄せる男性を取材した。

核兵器の廃絶を訴えるICANの顔として活動しているサーロー節子さん。平和賞の授賞式で被爆者として初めて演説を行い、当時4歳で死亡したおいについて語った。

サーローさん「おいの小さな体は、誰か判別できない、溶けた肉の塊に変わっていました」

克明に語られる実体験に、祈るように手を合わせる人や涙をぬぐう人も。そして、演説の後にはスタンディングオベーションがしばらく続いた。

そのサーローさんが授賞式翌日に出席したのは、恒例となっている記念コンサート。多くの著名アーティストが登場する中、今年は例年にはない、ある楽器が注目された。それは、広島の爆心地から約3キロの民家で被爆し、傷ついたピアノ。1938年に作られたというそのピアノは、戦前、音楽好きの男性が大切に弾いていたもので、幸い、原爆による焼失を免れた。現在も被爆当時の状態を保ちつつ、演奏できるよう修復・メンテナンスが続けられていて、「平和の象徴」として各地で演奏会が開かれている。

この被爆ピアノを所有しているのが、被爆2世の矢川光則さん(65)。矢川さんの父親はあの日、広島の爆心地からわずか800メートルほどの場所で被爆。幼い頃から、その被爆体験を繰り返し聞かされたという。

矢川さん「オスロの地で(被爆)ピアノがどんな音色を奏でるか、非常に楽しみ。きっと平和の音色を奏でてくれると思う」

ピアノ調律師でもある矢川さんは、被爆ピアノを通して核廃絶への思いを伝え続けてきた。持参した千羽鶴を被爆ピアノにそっとつるすと、1つ1つの鍵盤(けんばん)の動きや音色を丁寧に確認し始めた矢川さん。今回、コンサートのために、はるばる広島から8000キロ以上離れたノルウェーへ20時間以上かけて輸送されたが、状態に問題ないという。

そして、いよいよ矢川さんも見守る中、被爆ピアノの演奏が始まった。演奏が終わると、会場は大きな拍手に包まれた。

演奏を聴いた人「とても感動しました」「被爆して今も残っているなんて、信じられないですね」

平和賞のコンサートを飾るという大役を終え、矢川さんは改めて平和への思いを語った。

矢川さん「広島の平和の心を“被爆ピアノ”を通して伝えてくださった。“被爆ピアノ”を通してのイベントは、核兵器廃絶の一歩につながったと思う」

しかし、アメリカなど複数の核保有国の大使は今回の授賞式を欠席。ICANの受賞に反発の姿勢を見せた。今回の平和賞受賞は「核兵器廃絶」に向けた後押しとなるのだろうか。