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9・11から20年 暴かれた米国の闇

2021年11月3日 20:50

アメリカ同時多発テロから20年。テロ事件の首謀者の一人として、アメリカ政府に15年間不当拘束されていたモハメドゥ・スラヒさん(50)。グアンタナモ収容所での実態を告発し、アメリカの「闇」を暴いた手記が映画化され、世界に大きな衝撃を与えています。

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アメリカに不当拘束された、グアンタナモ収容所での14年間の拘禁生活から解放され、2016年10月に故郷のアフリカ北西部モーリタニアに戻ったモハメドゥ・スラヒさんは、映画の日本公開に先立ち、オンラインで日本テレビの取材に応じました。


■1本の電話で「私の人生が地獄に落ちたのです」

モハメドゥさんは、アメリカ同時多発テロから2か月後の2001年11月、モーリタニアでアメリカCIAによって拉致監禁されました。その後、ヨルダンとアフガニスタンを経由して、2002年8月、グアンタナモ収容所に移送され、激しい拷問などを受ける日々が続きました。

拘束のきっかけは、1本の電話からでした。「9・11の前の98年後半または99年初頭に、義理の兄から1本の電話がありました。彼の父親が病気で、自分はスーダンにいて、送金できないので、私に父親を助けて送金してほしいと頼んできました。私は『いいよ』と答えました。しかし、私は2つのことを知りませんでした。1つ目は、その電話はウサマ・ビンラディン(容疑者)の所有物で、2つ目はアメリカCIAがその電話を盗聴していました。そこから私の人生が地獄に落ちたのです」

モハメドゥさんは、国際テロ組織「アルカイダ」とのつながりが疑われ、何の司法手続きもないまま、グアンタナモ収容所に入れられました。


■グアンタナモ収容所の実態 今も後遺症に苦しむ

グアンタナモ収容所は、キューバにあるアメリカの海軍基地にあります。2002年8月に、アメリカはテロリストやアルカイダにつながる人物を取り調べるため、秘密裏に造った施設です。

モハメドゥさんは、精神と身体への暴行、水責め、著しく低温度の部屋での放置、家族への脅迫、性的虐待を含むさまざまな拷問被害を受けていたといいます。「気がつくと、隣の部屋で同じような状態にされていた人は死んでいました」と振り返ります。

「今も、パニック発作で夜中に呼吸ができなくなることがよくあります。拷問で胆のうに損傷を受け、収容所で取り除かれたけど、手術がうまくいかず、今も痛みに苦しんでいます」

2005年、モハメドゥさんは、アメリカ政府に対して「違法監禁と拷問などを行っている」として、アメリカの地方裁判所に提訴。地方裁判所は2010年、「アルカイダのメンバーという主張に証拠がなく拘束は不当だ」と認め、アメリカ政府に対して、モハメドゥさんの釈放を命じました。

しかし、検察側は控訴し、さらに6年も拘束して、2016年10月にようやくモハメドゥさんを釈放したのです。


■アメリカの圧力は今も続く 一日も早く収容所の閉鎖を訴える

国際社会や人権団体から「これは、アメリカが対テロ戦争を口実にした人権侵害だ」として非難が相次いだため、2009年、当時のオバマ大統領が、1年以内に収容所を閉鎖するように命令を出しました。しかし、10年以上たった今も閉鎖されていません。

グアンタナモ収容所には779人が収容されていましたが、うち有罪になったのは8人。さらに、その後の上級審で、そのうち3人が無罪となり、最終的に有罪判決になったのは、5人だけなのです。

今年2月に、バイデン大統領は自分の任期中に、グアンタナモ収容所を閉鎖することを表明しています。しかし、現在もまだ39人が収容所に拘束されたままです。

モハメドゥさんは今も、アメリカからさまざまな圧力を受けています。解放後に結婚したアメリカ人の人権派弁護士との間に男の子(2歳)が生まれました。アメリカ在住の妻子に会うため、何度もアメリカへのビザを申請しましたが、一向に許可が下りません。去年、日本を訪問しようとして、ビザを申請したものの、却下されました。「アメリカ政府が日本の法務省に圧力をかけたのではないか」と、モハメドゥさんが推測します。

映画を通じて、モハメドゥさんは「日本人にもアメリカの『闇』を知ってほしい」と話しています。


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