【希望】「みんな同じ人間」 病の子どもに向き合い続ける医師の情熱『every.特集』
北海道苫小牧市にある病院。小児脳神経外科医の高橋義男(たかはしよしお)さん。水頭症や低酸素脳症などの子どもたちの手術を5000例以上行い、他の病院で治る見込みがないとされた子どもたちと向き合い続けている。
高橋義男医師
「俺には、子どもは死んじゃいけないという定義がある。子どもは死んじゃいけない。これから夢をつくっていくからよ」
この日、義男先生のもとを訪れたのは、小学3年生の中佐優李(なかさゆうり)くん。脳に重い病気があり、外科的な治療は難しいと診断されたが、少しでもできることを増やそうと義男先生の指導のもと、リハビリ中心の生活を送っている。
高橋義男医師
「目の方は大丈夫だし、視覚から情報入っているんだよ。ばっちり」「だいぶしゃべれるようになってきているんだから、ちゃんとしゃべれよ」
優李くん
「はい」
高橋義男医師
「声小さいもん。努力が毎日ちょっと足りないんだよな」
義男先生が、机の下から取り出したのは色とりどりのお菓子。
高橋義男医師
「白か黄色か緑か赤か橙か紫か…何色?」
優李くんの母
「手を出す、もっと。はい、もっと。覗いてる。どれ?これ?緑?緑だ」
自分の意思を示すチカラを養う義男先生ならではのやり方だ。
生まれてまもなく脳の病気が見つかった優李くん。運動機能や認知機能に障害があり、当初、ほかの病院では会話することも難しいと告げられた。
そして、優李くんが生後7か月のとき、すがる思いで母の早苗(さなえ)さんが義男先生を訪ねると、「何でもやらせることが大事」と背中を押されたという。
優李くんの母・早苗さん
「『おれが診ていくから、優李をちゃんと診ていってやるから、ついて来い』って言ってくれて。なんて心に寄り添ってくれる先生だと思って」
義男先生が優李くんに勧めたのが、プールで遊びながら行う療養。優李くんは、当初、成長しても自発呼吸がままならない可能性があるという診断だった。
ところがー。
「せーの、1、2、3…」
水泳を始めて、呼吸する力がついたという。
高橋義男医師
「温かい水の中に入るとリラックスする、緊張がとれる。呼吸の問題とかいろんな問題が出てきて、気管切開とかになっちゃうけど、そういう風にならずに自分で活動ができるようになった。明らかに違う」
何もできないかも…と診断されてから9年。いまでは…
優李くん
「ママ」
「お・か・え・り」
母・早苗さん
「歩けているよ。歩けないって言われたのに、歩けている」
家族一丸となってできることを増やしてきた。
朝6時。義男先生が自宅のベッドで電話をかけた相手は遠くに住む患者の子どもたち。生活リズムをつけてもらおうと毎朝声かけを続けている。
高橋義男医師
「おはよう、がんばれよ。顔ごしごしして、グーパー体操しろよ。漢字とか軽く勉強してから学校行ってください。いってらっしゃい。また明日」
多忙な生活を送る義男先生。当直もこなし病院と自宅を往復する毎日だ。一人暮らしで、家に帰っても頭の中は子どもたちのことでいっぱいだという。
高橋義男医師
「いろんなやつを自分の家族みたくしないと子どもたち救えないんだわ」
去年の夏、義男先生は年1回、道内で行っている1泊2日のサマーキャンプを開催。コロナ禍で中断した年もあったが、25年以上続けてきた。ここでは、障害がある子もない子も、ごちゃ混ぜになることが醍醐味。手芸をしたり、太鼓を叩いたり、ふだん体験できないことにどんどんチャレンジする。
優李くんもこの日を楽しみにしていた。高いところから町を見下ろす体験では。
「どうだい、ゆうりくん。楽しい?高いね」
優李くん
「うん」
そして、キャンプ恒例のカレーに舌鼓。
母・早苗さん
「いいからやってみれって高橋先生に言われて、いろいろ挑戦していたら口から飲めるようになって食べられるようになって。ほら、奇跡起きてるべやって言われて」
成長しても、口から物を食べることができないかもしれないと言われていたが、いまでは自分で食べるチカラもついた。
高橋義男医師
「優李食べたか?ちゃんと食べれよ。よそ見しないで食べれ。わかった?わかった人『はい』は?これが『はい』」
親身になって寄り添う姿は、まるで家族のよう。
高橋義男医師
「みんなで生きて、素晴らしい社会をつくりましょう。みんな同じ、イーブンということです。おれたちがやらないとだめなんだ、がんばろう!」
義男先生はいう。病気や障害は特別なことじゃない。みんなの力で乗り越えられる。みんな同じ人間だから…。
※詳しくは動画をご覧ください。(2024年3月1日放送「news every.」より)