【若手シェフの挑戦】能登の希望に… 料理人コンテスト 被災したシェフが一皿に込めた思い『every.特集』
石川県羽咋市のレストランで調理をしていたのは黒川恭平さん(36)。大手グルメサイトが主催する若手料理人の大会RED U-35で300人を超える出場者の中からファイナリスト5人に選ばれた。決勝に臨む料理は自分の店の人気メニューでもあるハンバーグ。黒川さんは「誰もが知るハンバーグですけど、あっと驚かせたい」と意気込みを話した。
ただ調理をしていたこの厨房は黒川さんの店のものではない。七尾市にある自分の店「レストラン ブロッサム」は被災して使えなくなってしまったのだ。
黒川さん
「いまうちは全く水も出なくて内壁や外壁も崩れてしまっている。営業できる状態ではない」
能登半島地震で七尾市は最大震度6強を観測。黒川さんは店で正月用のオードブル作りの真っ最中だった。黒川さんが元日夜に撮影した店の動画には厨房に散乱する食材や食器がうつっていた。現在も断水が続く中、寄付を募り、営業再開を目指している。
被災後、黒川さんが店の復旧よりも優先したのは、避難所での炊き出しだ。幸い妻と子どもと暮らす自宅は無事だったため、料理人の仲間たちに声をかけ、避難所で生活する人たちのために温かい食事を作り続けた。
黒川さん
「野菜たっぷりのラーメンを作ったときがあったんですけど、子どもたちも食べてくれるし、おかわりしたいと言う子もいて、そういう声を聞いたり笑顔をみたりすると、やっていてよかったなって思った」
今でも黒川さんは、料理人仲間たちと給食の再開ができない学校の子どもたちのためにお昼ご飯を作っている。そんな中で迎える大会だけに、葛藤もあった…。
黒川さん
「コンテストなんてやっている場合なのかなというのが一つあった。自分がやることで今後復興に向けて何か能登の希望になるんじゃないかと」
悩んだ末に参加を決意した。“能登の希望になりたい――”決勝では、その思いを一皿に込める。
メインに選んだハンバーグは地元・能登の人たちに長年愛されてきた一品。そして、黒川さんが用意したのが珠洲焼のお皿だ。震災で割れてしまった店の器を金継ぎして使い、「被災からの復興」というメッセージを込める。「能登のために必ず優勝したい」と黒川さんは話した。
先月。東京での決勝当日。会場に到着した黒川さんは「緊張すると思うけど自然体で自分のありのままを出したい」と話した。
決勝の会場は、商業施設内にあるレストラン。黒川さんの挑戦が始まった-。
ハンバーグに使う肉は、石川県産の「能登牛」と「能登豚」。味にこだわり、うまみの強い部位を選んだ。料理の仕上げは審査員が控えるカウンターキッチンで行うルール。味や見た目だけでなく、料理に込められた思い、調理中の一挙手一投足も審査対象となる。審査員が目を光らせる中、黒川さんはハンバーグの焼きに取りかかる。
フライパンで両面に焼き色をつけたら、オーブンで中まで火を入れていく。最後にハンバーグをより香ばしく、香りにアクセントをつける狙いで、まきで焼くアレンジを加えた。
そして、こん身の一皿が完成。ワンプレートに能登の自然の豊かさを表現した。
復興のメッセージを込めた金継ぎの器には、能登で採れたしいたけに、海藻をあしらい、サラダのソースは、奥能登の冬の風物詩“波の花”をイメージし泡状にした。完成した黒川さんの思いのこもった一皿――。試食後には審査員からこんな質問が…
「大変な状況でも頑張って参加しようとしたのは、何が黒川さんをそうさせたのか」
この質問に黒川さんはこう応えた。
「避難所で炊き出しを続ける中で『ありがとう』『元気出た』という言葉を聞いて、食は希望なんだなって思った」
被災して改めて気づいた“食”の大切さ。自分が被災地で感じた、ありのままを伝えた。
黒川さん
「やりきりました。自分の出せるものはすべて出したと思う」
そして結果発表――
黒川さんの妻・理恵さんも会場に駆けつけ見守る中、グランプリが発表された。グランプリは銀座の2つ星レストランで副料理長を勤める山本結以さん。黒川さんは残念ながら受賞を逃した。
授賞式後、理恵さんのもとへ向かった黒川さん。
黒川さん
「ありがとうね」
妻・理恵さん
「お疲れさま」
黒川さん
「だめだった」
妻・理恵さん
「お疲れさま。帰ろう」
黒川さん
「ありがとう。うん、帰ろう」
そばで見守ってきた妻・理恵さんが、涙ながらにこれまでの努力をねぎらった。
最後に黒川さんはこのように話した。
「本当に悔しいの一言。結果を出せなかったのが本当に悔しい。(思いが)届いてくれたらいいな」
ふるさとの能登を思い勝負した黒川さん。食の希望を信じ、復興の道を進む。
※詳しくは動画をご覧ください。(2024年3月14日放送「news every.」より)