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【奮闘】一日10軒以上を訪問診療… 福島・飯舘村で唯一の医師“患者に寄り添う診療”とは 東日本大震災から13年『every.特集』

2024年3月9日 17:00
【奮闘】一日10軒以上を訪問診療… 福島・飯舘村で唯一の医師“患者に寄り添う診療”とは 東日本大震災から13年『every.特集』

福島県飯舘村で訪問診療を続ける医師・本田徹さん(76)。2年前に移住した、村に暮らすたった一人の医師だ。

患者家族
「本田先生はえらいだな~。こんなさ村きてよ」

本田医師は多い日には1日10軒以上の家をまわる。

本田先生
「肩に注射しますか?注射はいらねえか?」

肩の痛みを訴えていたのは中島政治さん(81)。若い頃から村の木材などで炭を作っていたが、森林部の除染が進まず、震災後に廃業を決めたという。現在、政治さんは息子2人と妻の4人で暮らしている。妻のアサ子さんはこう話す。「ここらへんなんて、なんぼも(人が)いないわ。若い人いないし、子どもたちだっていないから、みんなバラバラになっちゃったからな」

福島第一原発事故の影響で、全村避難を余儀なくされた飯館村。震災から6年後に一部地域をのぞき避難指示が解除されたが、現在、村の人口は震災前の4分の1ほど。若い世代の多くは戻っておらず、高齢者の割合は福島県内で一番高い7割近くに上っている。

村に一つだけある診療所「いいたてクリニック」。村への帰還が始まってから、本田医師が2年前に移住するまでは、福島市から医師や看護師が通い、なんとか村の医療を守ってきた。

本田医師は若い頃から、医療の行き届かない国や地域などで医療活動を行ってきた。阪神・淡路大震災や東日本大震災では、現地で医療面の支援に携わってきた。

そんな中、頭から離れなかったことがー。

本田医師
「福島のことは、すごく気になっていたんですね。原発震災なので、簡単に収まるものではないと。自分たちとして出来ることは、お手伝いしたいという気持ちはずっと持っていた」

本田医師は“体が続く限り飯舘村のために”という思いで、74歳のとき飯舘村に夫婦で移住した。

この日、本田医師が診療に訪れたのは89歳の佐々木ユキ子さんのお宅。ユキ子さんは、避難指示解除後すぐに村に戻り、夫と息子夫婦と暮らしている。

本田医師
「お母さん、大丈夫ですか?」

ユキ子さん
「なんだかわからねえ」

ユキ子さんは数日前から発熱が続き寝たきりの状態に-。

本田医師が診察すると肺炎の症状が。

本田医師
「救急車をお願いするかもしれない。あしたになっても変わってなければ」

翌日、本田医師が改めてユキ子さんの自宅を訪れると、ユキ子さんの病状は変わらず、入院が必要と判断した。ただ、村には入院できる病院がないため、20キロ以上離れた福島市内の病院に行ってもらうことになった。すると。

ユキ子さん
「病院さ行かねえぞ、おらは。行かねえ」

本田医師
「お母さん。ちょっと肺炎になっているから、しばらくだけ入院して元気になって帰ってきて」

ユキ子さん
「おら、行かねえんだ」

本田医師
「行かねえって言っても、そういうわけにいかねえよ。このままじゃよくならない」

村に帰ってきて7年。病気でも、住み慣れた自宅で過ごしたいという切実な思いをかかえる患者さんは少なくないという。

本田医師は患者さんとの会話を大切にしている。クリニックを訪れる人のなかには…。

患者
「(夫が)避難中に鬱病になって、あれっと思ったら話全然しなくなる。鬱病って。さみしいっていうか、むなしいっていうか、つらいっていうか」

本田医師
「原発事故がなければ、こういうことにならなかったわけだからな」

避難中の環境の変化で、精神的なストレスをかかえ、村に帰ってからも体調を回復出来ずにいる人や生活に不安を抱える人も、少なくないという。

本田医師はこう話す「非常に複雑な気持ちをもってらっしゃる方は多い。これから安心して年老いていけるんだろうかってことを考えながら、不安を持ちながらも住み続けている方もいる」

患者に寄り添い、その生活を見守ってきた本田医師。

本田医師
「(患者の)主体性とか、何を希望しているかってことを、ちゃんと尊重しながら診療にあたらせてもらうっていうことが一番大事かなとは思います」

83歳の大久保金一さんも本田医師の診療を受けるひとり。震災後から時折、めまいなどの症状が出るという。金一さんにはずっと大切にしているものがあるという。

本田医師
「水仙は種まいて」

大久保金一さん
「水仙は3月末、4月上旬になればだいたい(咲く)」

金一さんが若いころから自宅の周りに植えている水仙だ。実は、水仙は金一さんが将来を誓い合った女性が好きだった花。若くして女性は交通事故で亡くなってしまったが、金一さんは、その女性を思ってひとりで水仙を植え続けてきた。しかし…。

大久保金一さん
「地震がきて、原発ふっとんだから逃げろってなったときのショックは、目の前真っ暗になって。そのときのショックは、いまだに立ち直ることができないでいるんですよ」

金一さんは、大切な水仙を残しての避難。その間も、一時帰宅し花の手入れを欠かさなかった。そして、今年もおよそ50万本の水仙がもうすぐ花を咲かせる。

金一さんの水仙を楽しみにしているひとりの本田医師はこう話す。「大久保さんに元気でいていただかないと。春になると、村の外からも見物の人がいっぱい来ますから」

震災から13年。飯舘村の人たちはそれぞれの事情を抱えながら過ごしている。

「なるべくがんばって、村の人たちと一緒に歩いて行きたいと思います」と話す本田医師。きょうも、飯舘村のかけがえのない日常に寄り添っている。

※詳しくは動画をご覧ください。(2024年3月8日放送「news every.」より)

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