100年前の娯楽“カツベン”小学生の反応は? 岐阜・高山市
岐阜県高山市の小学校に食べ物ではない“カツベン”が登場。カツベンの正体、みなさんは分かりますか?中京テレビの取材です。
岐阜県高山市の小学校。この日は地域と小学校の合同文化祭。子供たちの合唱があったり、校庭にはキッチンカーが出展したりと大にぎわい。そんな文化祭の目玉は...
なんと白黒映画の上映会。上映していたのは1920年ごろに制作された喜劇映画。しかし、なんとなく違和感が。
それもそのはず、これただの白黒映画じゃないんです。
舞台には女性の姿が。実はこれ、音や声のない無声映画にリアルタイムで音を付けていたんです。
さかのぼること100年以上前。当時映像に音がなく映画が活動写真と呼ばれていた時代。そんな時代に欠かせない存在だったのが活動写真弁士。通称“カツベン”。
映像に合うように自分で考えたせりふや話の内容などを言葉巧みに語り、音楽を演奏する楽士とともに大活躍した職業でした。
1896年に日本で初めて無声映画が公開されて以降、映画とともに根付いていった“カツベン”の文化。
しかし1930年代ごろに音の付いた映画が流行り出すと徐々にその数は減少。現在、日本で弁士として活動しているのは20人ほどだといいます。
今回、小学校での“カツベン上映会”を提案した人は...
新宮まちづくり協議会 島田満さん
「意外と無声映画って高齢者の人も見たことがない人が多かった。古い文化をみんなで味わおうと思って」
舞台に立っていたのは山内菜々子さん。10年ほど前から弁士として活動しています。
活動写真弁士 山内菜々子さん
「大学の時に映画の勉強をしておりまして。こういう世界があるんだって。映画でもあり演劇でもあり、台本を自分で書くってことも聞いて脚本家的なところもあり」「そのときにすごいなと思ってこの世界に入りました」
チャップリンの作品など喜劇映画を2本上映。事前に考えた台本をもとに集まった観客の年齢層や反応によってアドリブで言葉を加えたり、逆にせりふを削って音楽のみに委ねることもあると言います。
およそ80分間の“カツベン上映会”は終了。初めて“カツベン”に触れた子供たちの反応は。
小学6年生
「生まれて初めて無声映画を見たからちょっとドキドキして怖くなったけど、見たらすごい面白いなと思った」
小学6年生
「(映画の)世界に入り込めるような感じでおもしろかったです」「もっと違う(無声)映画も見てみたいと思いました」
新宮まちづくり協議会 島田満さん
「いやぁ映画を見とる時の子供のリアクションがきゃーきゃーわーわー騒いであれだけ反応するとはね」
今ではほとんどなくなったものの、かつては大人気だった大衆娯楽“カツベン”。活動を続ける魅力とは。
活動写真弁士 山内菜々子さん
「やっぱりライブ感ですね」「映画っていうのは変わらないけど弁士、楽士そしてお客さんも変わるっていうこのライブ感」「映画や演劇コンサートやライブの良いところが合わさった芸能だと思っています」