あなたは「自立」していますか?他人に頼って生きてもいい 「自立」の意味をアップデート
「子どもが“自立”した」「“自立”した女性」…よく聞く「自立」。辞書では「他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること」とあるが、実は海外における「自立」の定義は少し異なる。スウェーデンから学ぶ「自立」とは。あなたは「自立」している?
(社会部・厚生労働省担当 雨宮千華)
■「自立してないじゃん」
取材で出会った脳性まひの女性(78)がいる。女性は幼少期から施設で育ち、13歳になったころ、施設の職員から「生理がなくなる」とだけ言われて子宮を摘出する手術を受けた。障害がある人などに強制的に不妊手術をすることを認めた法律、旧優生保護法の被害者である。「人として扱われていない」。そう感じた女性は20代で車椅子に乗って施設を抜け出した。
その後、自ら街頭でチラシを配るなどして介護ボランティアを探し、自立。今は介護を受けながらアパートで暮らしている。その部屋には大きな張り紙がある。太字で大きく書かれた言葉は「自立して生きていきたい」。彼女が人生でずっと大切にしてきた思いだ。彼女のことを報道した時、反響にこんなコメントが少なからず寄せられた。「介護に頼ってるのに自立?」「自立してないじゃん」。
――「自立」ってなんだろうと考えるようになった。
■「他人の援助を受けないこと」が「自立」?
「自立」。辞書(広辞苑)をひくと「他の援助や支配を受けず、自分の力で判断したり身を立てたりすること」とある。確かにこの「他の援助を受けず」という意味では、介護を必要とする人に自立は無理だ。だが、よく考えてみるとこの定義だと、私も自立できているのだろうか。そもそも「他の援助を受けず」生きられる人なんて、この世にいるのだろうか。
気になって調べてみると、実はこの「自立」の意味、海外では日本と異なる意味で使われているという。どんな意味なのか。日本から8000キロほど離れた北欧の国、スウェーデンで取材した。
■「自分の道を自分で選択できること」
高福祉の国で知られる国、スウェーデン。教育費は大学まで無料、医療費も子どもは無料、大人も自己負担額は日本にくらべてはるかに安い。ほかにも、例えば子どもに障害がある場合、生活上必要な器具(例えば車椅子や補聴器など)は無料で貸与される。さらに、子どもの介護・看護のために親が仕事を休まなければいけないとなれば、家族に手当も十分支給される。
生きることに困ったら、救いの手が次々に差しのべられる国、スウェーデン。聞くところによると、社会が目指しているのは「国民全員の自立」。しかしここでの「自立」は、もちろん「他の援助を受けない」という意味ではない。
「この国での『自立』は、“自分の生き方を自分で選べる”という意味なんです」そう教えてくれたのは、およそ50年前に日本からスウェーデンに移住し、医療・福祉の現場で作業療法士として働いてきた河本佳子さん。スウェーデンではこの「自立」=「自己決定」の考え方が、社会で何より尊重されているという。
■「何ができる?」よりも「何がしたい?」
確かにスウェーデンで取材してみると、老いも若きも、障害があってもなくても、その人の意思が何よりも尊重される場面に何度も出会った。
首都・ストックホルムの障害者就労支援の現場に同行させてもらった時のことだ。ストックホルムでは、ひとりひとりの障害者に市の職員が専属パートナーとなって就労支援を行うのだが、その日はある軽度知的障害の青年が職員と職場見学に行く予定だった。向かったのは、アニメーション製作や作曲を業務とするアートコンテンツの会社。一通りの部署を見学し終えた青年に、パートナーの職員や会社の社員が聞いたのは、一貫して「何がしたい?」だった。決して「何ができる?」ではなかった。
また重度認知症患者を受け入れる高齢者施設を訪れたときには、入居者全員に与えられる個人部屋を見せてもらった。ある96歳の女性の部屋にはたくさんの家族写真やお気に入りのぬいぐるみが飾られ、天井からは数字の「9」と「6」のパーティー用風船がつるされていた。私が過去に訪れた日本のある高齢者施設は、入居者がモノを壊してしまうリスクなどから質素な空間が好ましいとされていたのだが、それとは対照的だった。施設の職員曰く、入居者それぞれが自分の好みにあわせてまず部屋作りをするのだという。この施設のモットーは「人の“できる”を奪わない」だった。
■「ケーキを平等に分けて」どうする?
個人の意思がここまで尊重される社会はとてもすてきだ。しかし実現するには、それを叶えるだけの財源がなければならない。ご存知のとおりスウェーデンは税金の高い“高負担国家”だが、国民はなぜそれを受け入れているのだろう。河本さんはその根っこには日本とは大きく異なる「平等」の考え方があると話す。
例えば日本でホールケーキを切り分けるとき、それが6人なら均等なサイズに切り分けるのが平等とされる。だがスウェーデンは6人の中には、とてもおなかが空いている人や、一方でケーキが嫌いな人がいるかもしれないと考え、ケーキはそれぞれのニーズに合わせた大きさに切り分けるのが平等だと考える。つまりスウェーデンでは、必要とされる人には多く配分するのが「平等」なのだ。社会でも弱者に多く配分するのは当たり前という考え方が受け入れられていると河本さんは話す。
■日本にも導入されていた「自立」の概念
知れば知るほどスウェーデンと日本の違いが明らかになるようだが、実はこの「自己決定」=「自立」という考え方は、日本の福祉の世界にも導入されている。厚生労働省は2000年の社会福祉基礎構造改革以降、この「自立」の概念について「自己決定に基づいて主体的な生活を営むこと」と定義し直し、その上で自立支援の制度設計をしてきた。
しかしある厚労省職員は、定義を新たにしてから20年ほど経った今でも、「自立」という言葉はとても慎重に発信する必要があると話す。たとえば「自立」という言葉を盛り込んだ新たな制度を発表すると、図らずも当事者やその団体から「“自立”(=他人の援助を受けないこと)を強要されているように感じる」などと批判の声があがるのだそうだ。当事者やその支援団体らにとっても、まだ「自立」=「他人の援助を受けず」というニュアンスが強く根付いているといえる。
福祉の世界以外でもよく耳にする「自立」。他人に頼ると、思わず「すみません」と口にしてしまう日本人だが、そもそも人に頼ることは本当にそんなに後ろめたいことなのだろうか。人に助けを求めることは、つまり自分の弱さを認めることで、それはむしろ「強さ」でもある。
「自分の生き方を自分で選ぶ」に「自立」をアップデートしてみる。
その上で考えてみたい。自分は自立しているだろうか?