「子宮を返してほしい」…強制不妊 国に奪われた“人生” 闘い続ける女性
「子どもを産む自由」を国の法律によって奪われた人がいます。“旧優生保護法”のもとに、強制的に子宮を摘出された西スミ子さん。自分のありのままをさらけ出して、差別と闘い続ける姿に密着しました。
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脳性まひがある西スミ子さん(76)は「子宮を返してほしいですね」と語りました。
スミ子さんは13歳のころ、「生理がなくなる」とだけ説明され、子宮を摘出する手術を受けました。
西スミ子さん
「(施設の職員に)また生理なのとか。またなの?またなの?って言われるのが嫌で…」
「結婚しようと思った相手がいたのにね。『だまされた』って言われて」
子どもが産めないと伝えた男性とは結婚が破談に。子どもがほしい一心で乳児院に相談するも、断られたといいます。
スミ子さんから、誰もが当然に認められるべき「子どもを産む自由」を奪ったのは「旧優生保護法」。障害がある人などに強制的に不妊手術をすることを認めた法律で、1996年に法改正されるまで、およそ2万5000人が手術を受けたといわれています。
これまで、全国で約40人の被害者が国を提訴。差別などを恐れて匿名の被害者が多いなか、スミ子さんは名前を公表し、裁判で闘うことを決めました。
スミ子さんの自宅に貼られた大きな紙には、「自立して生きていきたい」との文字が書かれていました。20代のとき、自分が「人」として扱われていないと感じ、スミ子さんは施設を退所。介護ボランティアを自ら探し、8年かけて自立しました。
西スミ子さん
「決まったレールにのるのが嫌だ。自分でやっていきたいなと思って」
たばこも吸うスミ子さんは、“障害者”であるまえに“ひとりの人間”。カメラの前でも、「ありのまま」を崩しません。
今年4月、スミ子さんは大阪へ向かいました。裁判で証拠となる不妊手術を受けた記録を探しに、当時生活していた施設を訪れました。
「ぜひとも探してください。よろしくお願いします」
長い年月が経ったいま、当時の記録を探すことも、被害者にとって大きな負担となっています。
6月1日、仙台高裁では、別の被害者の女性が国を訴えた裁判の判決がありました。しかし、結果は敗訴となりました。
飯塚淳子さん(仮名)
「大事な証拠の書類が焼却されてなかったんで。そのために裁判が遅れたんで」
さらに被害者たちの裁判では、賠償請求の権利が20年でなくなる「除斥期間」が争点となり、これまでの判決では、原告側の勝訴が7件、敗訴が8件と判断が分かれています。
決して楽ではない裁判ですが、それでもスミ子さんは自ら法廷に立ち続け、ありのままを伝えたいと話します。
西スミ子さん
「あからさまに出していかないとねと思う。それを見てどう思うか、聞いてどう思うか」
―――伝えたら社会は変わると思いますか?
西スミ子さん
「変わるかどうかはわからない。変わるように努力しないとね」