「ママが2人いることは息子もわかっている」…元宝塚トップ・瀬奈じゅん、特別養子縁組で迎えた我が子への“真実告知”
――瀬奈さんは2012年、38歳の時に夫の千田真司さんとご結婚。その後2年半不妊治療に取り組み、2017年、43歳の時に特別養子縁組により息子さんを迎えました。結婚された時からお子さんがいる家庭を作るイメージはありましたか。
はい。していました。宝塚時代、頑張ればなりたい自分になれると信じてやってきたので、頑張って治療すれば子どももできると思っていました。本当に無知だったので。初めての挫折だったかもしれないです。
子どもことを考えて仕事もセーブして。私たちの仕事は2年先、3年先の舞台が決まっていくので、それがひと段落したらとにかく治療をしようと。家も実家の近くにと考えて生活していました。
――特別養子縁組制度を知ったきっかけはなんだったんでしょうか。
言葉は知っていましたが、制度は全く知らなかった。きっかけは主人が不妊治療を始めて半年くらいの時に『特別養子縁組という制度があるんだよ。僕はそれでも構わないと思ってるよ』と言ってくれたことがきっかけです。私の心を軽くするためだと思います。
――聞いたときにどう感じましたか。
私はあなたのために二人のためにこんなに不妊治療を頑張ってるのに何て言うんだろうって思ってしまいました。ただ、今は勇気を振り絞って言ってくれてありがとうと思ってます。
――その時の様子を夫の千田さんにも伺いました。
<千田真司さん>
僕がチャイルドマインダーという保育の資格を10年ぐらい前に取って、その中で特別養子縁組を知ってはいたんです。一度目の着床が失敗した時くらいから、自分の気持ちを伝えておいた方が、妻が楽になるのかなと考え始めて。ただ、なかなかタイミングが難しい。自分たちの二人の子どもを出産するために不妊治療をしているので。2度目の着床がうまくいかなかった時ですかね。(不妊治療を)半年ぐらい続けて、始める前と現在で日常が変わったことをとても感じていて。暗いトンネルの中をずっと走っているような感覚。1年、2年続けられるのかなと思ったこと。
実際に薬を飲んだり注射をしたりするのは基本的に妻だけ。薬の副作用も割と強く出るタイプだったみたいで。見ていて男性側、僕自身がしてあげられることはなかなかないなと思っていました。「絶対に血のつながった子どもじゃなきゃいけないわけじゃないんだよ」という気持ちを伝えておけば、気持ちに少し余裕が生まれたり考え方が変わったりと妻の気持ちが楽になればいいなと思いました。
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――その後、瀬奈さん自身の気持ちにどんな変化があったんですか。
その話を聞いた時は一切考えられなかったです。でも半年ぐらい経って私の大切な人がご懐妊されました。彼女も不妊治療を頑張っていることを私は知ってたので「おめでとう」とその時は思えたんです。だけどこの先、私もしかしたら大切な人ご懐妊をおめでとうと喜べなくなっちゃうんじゃないかという不安が出てきてしまった。
私はそういう嫌な自分が出てくる前に「辞めなきゃな」と思ったんですよね。だけど実際に辞められない。「次も頑張ればもしかしたらできるかもしれない」とずっと続けてきてしまって。でもその時にふと半年前に言われた主人の言葉がぱっと思い浮かんで、自分でも特別養子縁組について正しい知識を知ろうと行動に移した感じですね。
でも調べても調べても、文字だと他人事というか現実味がない。だから特別養子縁組を応援しているNPO法人のセミナーや説明会に参加しました。直接、生のお声を聞く。実際に特別養子縁組で親子になられた方のお話を聞く機会もあって、とても感動してしまったんです。お子さんがご両親にそっくりなんですよ。本当に血のつながってないのかなと思うぐらいで。実際、今うちの息子は主人にも私にも似てるんですよ。だから血じゃないんだなとは思いますね。
――一緒に過ごす時間や思いの方が…
そうなんです。セミナーを通してそれを実感することができました。一歩進んでみようという気持ちになれましたね。
――その後、2017年に息子さんをお迎えになられます。
息子は生後5日で、私と私の母と主人と3人で迎えに行ったんです。行く前に「ミルクを飲むのが下手でちょっとコツがいる。レクチャーするので30分ぐらい時間をください」と言われていたんですよ。でもなんとなく私からは飲むんじゃないかなという謎の自信があった。何気なくパッと飲ませたら何のコツもなくゴクゴク飲んで。
それを見て、看護師さんたちも先生たちもみんな泣いて「待ってたんだね」と。母も主人も私も泣きながらミルクをあげたことが印象的でした。
――その時のことを千田さんにも伺っています。
<千田真司さん>
(最初に見学に行った)団体の方が、特別養子縁組は子どものための制度であって子どもを授かりたいと願っている親のためにある制度じゃないんだよと念入りにおっしゃっていて。自分たちが子どもを授かりたいという気持ちがエゴなんじゃないかと、とても胸に引っかかった部分でした。
その後に出会った他の団体で私達を担当してくださった方が、子どもを育てたいという気持ちがなければ成立しない制度なので、それはもちろん持っていていいんですよと。それで腑に落ちたというか自信を持てたような気持ちに変化しました。
(実際にお子さんを迎えるときは?)あ、この子なんだって。今まで不妊治療から始まって葛藤を乗り越えて特別養子縁組をすると決めた時間が、この子と会うためにあったんだなと感じました。形としては私たちが授かって息子が家庭的な養護が受けられるということで、息子を助ける制度というのはそうなんですけれども、息子に初めて会った時に助けられたのは自分たちの方だなと感じました。
もしかしたら制度を曲解されてしまうかもしれないし最初1年間ぐらいは自分たちが救われたということを言っちゃいけないかなと思っていて。特別養子縁組という制度の趣旨を理解した上で、でもやはり家族なのでお互いが支え合ってどちらも助けあっている関係性だなと感じます。僕らはこの子に救われたし、その分この子に愛情を注ぎたいなと思うので。
特別養子縁組は命を授かるし、団体の方たちも命を受け渡すので、ハードルを低くすることはできないと思うんですけど、迎える側の親の気持ちとして、出産するのも特別養子縁組で授かるのも家族になるということにそんなに違いはないんじゃないかと思っています。そういう部分を伝えたいなと感じています。
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――お子さんを育てていて、産みのお母さんのお話をされることもありますか。
もう日常的にしますね。最初は自分たちの練習として、言葉もわからないであろう3か月ぐらいの男の子に向かって、お風呂場で湯船につかりながら「ママのお腹はね。ちょっと壊れちゃってあなたを産むことができなかったから、もう一人のお母さんがあなたを産んでくれたんだよ」という話をずっと続けてたんです。
ある日、「僕、ママの中から生まれたかったな」と言った時があって。「じゃあ生まれてみようか」と私の洋服の中に入れて「生まれたー。元気な男の子だね」とか言って。そういうのを繰り返して、日常的に「もう一人のお母さんもきっとこの海見てるね」とか「きっとどこかでつながってるね」とか「この道を行ったら産んでくれたお母さんの道につながるかもね」とか。本当に些細なことですけれど、そういう会話はよくしています。
本人もママが二人いるってことはわかっています。ただ、本当の意味で理解するのはまだだと思うんですけど、本当の意味で理解した時に、ちゃんと寄り添っていたいなと思います。
――父親目線からの真実告知についても伺っています。
<千田真司さん>
出自の事実は曲げたり隠したりしたくないなと思っています。順を追って説明することでいいと思うんですけど、産んでくれたお母さんがいるということは事実だし、それ隠す必要もないのかなと。
明確な姿・形を想像できないけど、(産んでくれたお母さんの)名前があるだけでも違うのかなとも思うし。息子を見ていてかわいいなと思えば思うほど、同じ血を引く産んでくれたお母さんも「目が似てるのかな、鼻が似てるのかな」と想像する部分もあって、今どうされているか全くわからないんですけど、幸せでいてくださったらうれしいなという思いがあります。
そこを隠す必要もないしむしろ伝えてあげたいなと思ったので、まだ何を言っても理解できないような年齢ですけど生後半年ぐらいの頃に、お風呂場で本人にそれを伝えてみたんですね。そうしたら何も分かっていないはずの子に伝えることでさえも、こっちがちょっとドキドキしたんです。その瞬間に「ああこれは親側が練習をしなきゃいけないんだな」と感じました。
3歳、4歳ぐらいの頃に僕と息子で車に乗っていた時に、急に「〇〇ママ(産んでくれた母親の名前)から生まれたんだよね。ママから生まれたかったな」とかって言うんですよ。何の脈絡もなく本人から突然その話をするんだと思って。そこはもうそうだよねと同調して話をしましたけど、初めての出来事だったので成長を感じるのと同時に寂しい思いもあるんだなと思います。そういう気持ちにも寄り添っていきたいなと。
今はいろんなことに興味があってそれどころじゃないという感じで、多分あまり考えてはいないと思うんです。きっと成長するに連れてまた別の角度からの質問とかもあるんだろうなと思うので、それにちゃんと話に向き合ってあげられるように。思春期になって深く考えた時に、もしかしたら「会いたい」とか「一目見たい」と言う時も来るかもしれない。それはできる限りかなえてあげたいなとは思っています。
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――瀬奈さんと千田さんが同じ熱量で特別養子縁組に取り組んでいらっしゃったんだなと感じます。夫婦の熱量を合わせることは大事なことですか。
だと思いますね。実際に妊娠されている方の話を聞くと、自分はどんどん体が変化するけど。主人は何の変化もないから親になる自覚に時差があるとおっしゃっていて。でも私たちの場合は、一緒じゃないと。特別養子縁組をするにあたっては、時差があってはいけないとは思いますね。
――著書(『ちいさな大きなたからもの』瀬奈じゅん・千田真司著(方丈社)撮影:長谷川美祈)でも書かれていますが、特別養子縁組について皆さんに伝えたいことは。
私は特別養子縁組を勧めるつもりは全くないんです。ただ、正しい知識を知っていただきたい。今、日本には4万5000人ほどのお子さんが温かい家庭で育つことができない状況にある。そういう現実を知っていただきたいなと思いますね。
私が目指しているのは、「たばこ、お酒は20歳になってから」ということをみんなが知っているのと同じぐらい、特別養子縁組の制度を当たり前のように知っていること。そして息子が大人になった時に特別視されない世の中にしていくことが私たちの活動の目的です。本を買ってくださいということではなく、正しい知識を知ってもらいたいなと思います。
――今後は家族としてどのように歩んでいかれますか。
実はこのたび、第2子となる女児を授かりました。昨年8月ぐらいに生後5日目でお迎えに行って、そこからずっとずっと生活を共にしていたんですけど、先日、家庭裁判所の正式に許可が出て、正式な家族となりましたので発表させていただいたんです。
今後4人家族になって、また家族の形も変わっていくと思います。2人目を迎えたことで感じたことも発信できればいいなと思っています。
――2人目を迎える決断をされたのは、どういう経緯だったのでしょうか。
4万5000というあまりにも多い数の中で微々たる力かもしれないけれども、それでも一人でも温かい家庭を必要としている子がいて、子どもを育てたいと思っている私たちみたいな人間がいるならば、それは素晴らしいことだと思ってもう一人迎えてもいいんじゃないかなと考えてたところにコロナがやってきました。
私たちの舞台の仕事が難しくなってきて、この先どうなるかわからない。一回あきらめたんです。息子に話は一回もしてなかったんですけれども、お友達とかに僕の家に赤ちゃんが来るんだよって言い回っていたんです。同い年の子たちの弟や妹ができた時に、すごく赤ちゃんをかわいがっていて。その姿を見た時に、あきらめてしまったけれども、コロナなんかに負けて、自分たちの信念みたいなものを曲げるのも…と思って。コロナ禍から養子縁組の件数が減っているらしいんです。そのうちの一人になれたらと思って決断しましたね。
もう猫かわいがりですよ。面倒見ているし、なんなら「ママとパパ、僕を手伝ってね。僕がやるから」って。私たちが娘に色々やってたりとかすると「ありがとう」と言うんですよ。頼もしかったですね。
――瀬奈さんにとって家族とはどういう存在でしょうか。
私たち家族だよねと言わなくても、自然にそこにいられて、寄り添いあって、いるのが当たり前と思っていることが家族なんじゃないかな。だから息子にも娘にも私たちはいて当たり前と思っていてほしいし、それに対して何の不安もなく「パパとママがいる」と、ドンとしていてほしいなって思います。
(『アプレジェンヌ〜日テレ大劇場へようこそ〜(瀬奈じゅん編)』より抜粋・再構成)
【写真提供】
『ちいさな大きなたからもの』瀬奈じゅん・千田真司 著(方丈社)
撮影:長谷川美祈
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『アプレジェンヌ』は日テレNEWS24制作のシリーズ企画。元タカラジェンヌをお招きし、日本テレビアナウンサーで熱烈な宝塚ファンである、安藤翔アナ(妻が元タカラジェンヌ)、中島芽生アナ(宝塚音楽学校を4回受験)の2人が、ゲストの宝塚時代・退団後の生き方に迫ります。