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中川翔子×いじめ3 “となる人"を考える

2019年9月13日 19:20
中川翔子×いじめ3 “となる人"を考える


■“となってくれる人”…いじめられて、辛い人にはありがたい存在

秋くらいからもう学校に全然行かなくなっちゃって。修学旅行も、私が休んだから木村は、一人で行っちゃったらしくて、申し訳なかった。卒業式も行かなかったので、加藤から「お前と4コマ書こうと思ってたのに」って言われて。

私はたまたまですけど、こういう低カーストになっちゃっても、それについて触れないで、話してくれたっていう存在、となってくれる存在(隣にいてくれる存在)がいたから、ギリギリ持ちこたえられてたっていう感じですけど。

個人的に、そうやってちゃんと笑える人が現れたのは大きかったですね。中3までがずっとしんどかったから。中3になってからもまだしんどかったけど、しんどい中でも、例えば靴箱が壊されて、一緒に帰っていても木村はそれについて触れないんですよね。色々言われたりとか、やばいやつみたいのが、絶対届いているはずなんですけど、それについても触れないで同じ趣味の話で笑ってくれて。

一緒にいたかったから、一緒にいただけだよみたいなことってすごくありがたいし、そういう存在であるだけで本当に戦えたり意見を述べられる。強さになるからありがたかったなってすごく思いますね。


■“隣る(となる)”には勇気がいる

もし自分だったら。怖いってなっちゃうかもしれないですよね。一緒にいるととか、そういうことを考えないで、ただ一緒にいてくれるっていう“隣る(となる)人”って言うらしいんですけど。あるドキュメンタリー映画のタイトルで、しんどいときにそのことに触れるでもなく、深掘りするとか押し付けるでもなく、ただ一緒にいて笑ってくれる人。すごくありがたい存在だなと。だから、大人としては誰かにとって、そういう風になれる人になれたらいいなっていうのはすごく思います。

でも人によっては多分、全然人にも言えなかったり、本当の気持ちを話せなかったりとか。家にも居場所がない子っていうのがすごく多いみたいで、それがすごく心配なんですよね。


■“心が柔らかくなる”母との時間

母と私は友達みたいな感じでした。母はずっと一人で働いていて、いつも家にいなくて、全然母親らしくなかったんです。勉強しろとか言わないし、料理もしなかったんですけど、母が夜中に帰ってくるまでずっと引きこもって、帰ってくるとネットで見つけた面白い情報とかを話して、あぁそうなんだとか言ってくれたり、一緒にマンガ読んでゴロゴロしてくれたりとか。そういう時間が好きだったなって思いますね。やっぱり誰かとしんどい部分じゃない、何か好きなことを共有できる時間で、少し心が柔らかくなるなって思いました。


■心の支えは、友人たちの存在

ただその時期にも、学校行かなくなったら負けだなっていうのがずっとあって、嫌だけど行っていました。この時期、唯一話してくれたのは久々に同じクラスになった木村という子と、オタクグループの加藤でした。その2人といる時は、笑えるようになって、カフェテリアの時間とかしんどかったのがちょっと救われました。

「こんな私だけど話してくれる。そしてオタクの話でこうやってマンガとかアニメの話で、ゲームの話で腹から爆笑できるって幸せだな、もうこれでいいや!」とちょっと開き直れていました。

最近、木村と加藤と再会して、ご飯を食べたんです。その時に、「(学生時代の)お前確かに気持ち悪かったからね」って言われて。木村はハイカーストの人とも上手く付き合っていて、人望があったんです。だから低カーストの私としゃべると損をするんじゃないかなと思っていました。でもあの時は必死で気づきませんでしたが、いじめられている人といて、木村もそういうのことに巻き込まれていく可能性があることは怖くなかったのかなって疑問に感じていました。

それをこないだやっと聞けたんですけど、「気持ち悪いけど、でも一緒にいて面白いから、一緒にいたいから一緒にいただけだよ」ってサラッと言ってくれて、ありがたいなと改めて思いましたね。