看板メニューは「南三陸キラキラ丼」 震災11年…夫が贈る妻への“感謝の言葉”
宮城県南三陸町で季節料理の店「志のや」を営む高橋修さん。11年前の3月11日、修さんと家族は海から4キロほど内陸にあった、店に併設する自宅で休憩中だった。
津波が襲ってくると分かると、妻・廣美さんは娘3人、孫3人とともに避難。修さんは「店と自宅に何かあったら動けるように」と自宅にとどまった。自宅ごと流されたものの、無我夢中で屋根にのぼり九死に一生を得た修さん。しかし、思い出が詰まった店や自宅は津波に流された。
「もう一度ここに『志のや』を建てたい。家族で住みたい。」
震災直後、妻の廣美さんはこう話したものの、このころはまだ将来が見通せず不安でたまらなかったという。一方、修さんはすぐに動き出す。
震災から間もなく、道路沿いにテントを立てて弁当の販売を開始。「人との交流が復活したのがすごくうれしい」。こう語っていた修さん。震災で気落ちした廣美さんにとっても、“人とのふれあい”は心落ち着く時だった。
震災から約1年後にはプレハブの仮設商店街で「志のや」の営業を再開。再建への一歩となったこの店で、名物「南三陸キラキラ丼」も復活した。町を代表する海の幸がのった「南三陸キラキラ丼」は震災前、町をPRするため修さんと飲食店仲間が考えたドンブリだった。
そして震災の6年後。夫婦が思い続けていた願いがついに実現した。かつての自宅と店が流されたあの場所に、新たな「志のや」を再建したのだ。
再オープンの日、修さんはこう意気込みを語った。
「今日のために頑張ってきたのが本音。おっちゃん倒れるまで頑張りますよ。」
そして、震災から11年。夫婦は結婚40年を迎える。コロナ禍で客は激減したが、それでも修さんは前を向き続ける。今月からは、味噌漬けのアワビをメインに使った春のキラキラ丼の販売を開始。そんな修さんの、結婚40年の思いは…
「こいつ(廣美さん)しかいなかったのかな。(自分の)性格とか考えると。こいつ(廣美さん)だからついてきてくれた。」
これまで言葉にしてこなかった、感謝の気持ち。廣美さんは、もう心配していない。父ちゃんは「やると決めたら何でもやり遂げる」。これまでも、そうして家族を支えてきてくれたことを知っているから。
※詳しくは動画をご覧ください。(2022年3月9日放送「news every.」より)