津波から再起の商店街 スマホの少年はいま
東日本大震災からまもなく10年。宮城・気仙沼には、津波にのまれ、仮設店舗をへて生まれ変わった商店街があります。さまざまな思いを抱える店主たち。スマホに残った写真で10年の軌跡をたどると、ある少年に出会いました。
13歳になった彼はいまも―ー。
■青空市から仮設へ 「誤算」も
宮城県気仙沼市にある「南町紫神社前商店街」。事務局長の坂本正人さん(64)は、10年前の震災当時の写真を見せてくれました。
「もうこの街はダメだ。どうする?どうする?みたいな話が、避難所の中で出てきましたね」
現在、雑貨店を営む高田一彦さん(61)のスマホにも写真がありました。「『これ、なんとかしていかないといけないよね』。そこで『青空市』みたいなことを始めて。これがその写真ですね」
青空市を経て、2011年の12月、坂本さんたちは仮設商店街を作りました。そこには多くの観光客も訪れました。しかしそれが、ある誤算につながりました。
坂本さん
「仮設(商店街)の時代って、こんなに周りから人が来てくれると思わなかった。そうなった時に、『新しいものを作って立派なものにすればもう一回観光客を呼び込めるんじゃないか』という、ちょっとした錯覚がありました」
1つ目の誤算は、目当ての観光客の減少でした。
52店舗あった仮設商店街。6年間という月日の中で、復興を支えようと訪れてくれた観光客も徐々に減りました。目立つのは駐車場で、そのほとんどは震災前、店や住宅があった場所でした。
坂本さんは駐車場を見やり、「ここ、商売してたんですもん。みんな。ここも、ここも。区画整理して駐車場になる街ってありますかね?」とこぼしました。
■瓦礫から見つけたハサミ 今でも
2つ目の誤算は、移転に時間がかかるにつれ、離脱する店が増えていったことでした。
震災から6年半が過ぎた2017年11月。仮設商店街から、新しい商店街に生まれ変わりました。店舗の数は25と、仮設のときの半分近くになっていました。
その1つ、理髪店の小野寺一雄さん(50)が見せてくれたのは震災直後、避難所で無料で髪を切っている写真です。
小野寺さん
「みんな『俺の髪を切ってくれ』とか、常連のお客さん、友人、同級生とかがいっぱい来てくれて」
瓦礫の中から見つけたハサミで髪を切ったといいます。そのハサミを、今も使っていました。
「1年ごとに徐々に辞めていった人がいたり。やっぱり6年半じゃなくて3年くらいで商店街ができていたら、もっと倍くらいの人が商売できていたのかな」と、時間の流れに思いを馳せました。
■ピアノ教室に集った生徒 その成長に
仮設商店街でピアノ教室をしていた遠藤久美子さん(44)は、「1年くらい誰も来ないんじゃないかなと思っていたんですけれども、被災地にいる子供たちが想像以上に通ってきてくれました」と振り返ります。
その時撮った、1枚の写真を見せてくれました。仮設商店街のイベントで撮ったもので、教室の生徒たちが写っています。その中の1人、当時3歳の牛渡冠士(うしわた・かんじ)くんは、今もピアノを続けていました。
2月24日にピアノ教室を訪ねました。
――今いくつですか?
冠士くん
「13です」
母の素子さん(42)が問いかけます。
「(震災を)覚えてはいるんだよね。断片的?」
冠士くん
「断片的には」
素子さん
「こういうことあったよねとか、電気がなくて暗かったね、とか」
冠士くんの成長が10年の月日を感じさせてくれました。
商店街は、新型コロナの影響によるダメージもあるといいます。
まもなく震災から10年。
「後ろを向きたい時もありますけど、向けないというのも現状なので、どうにかこの状況で頑張っていくしかない」と坂本さん。小野寺さんは「まだ本当にスタートラインですね。今からがスタートかもしれません」と力を込めました。
(3月2日『news zero』より)