命を運ぶ電車 JR福知山線事故19年 安全への道標
乗客106人と運転士が死亡・負傷者562人の大惨事となったJR福知山線脱線衝突事故。事故で妻と妹を亡くし娘が重体となった淺野弥三一さん。私憤を抑え加害企業JR西日本に向き合い「安全」理念の構築に携わった。鉄道の安全を求め続けた遺族の19年。
淺野さん
「安全については、女房と妹をもっていかれた人間としては、だまっとるわけにはいかんのよ」
乗客106人が死亡した、JR福知山線脱線衝突事故。『安全への道標(みちしるべ)』を求め続けた遺族がいます。
淺野弥三一(あさの・やさかず)さん、82歳。脱線衝突事故で、娘は重傷を負い、妻と妹を亡くしました。
淺野さん
「(妻は)あんまりでしゃばらない。『私が生まれ変わっても、もう一回、お父さん選ぼうと思うが、あんたはどう?』っていう」
2005年4月25日。
「列車事故がありました。兵庫県尼崎市のJR福知山線上空です」
淺野さんの家族は、2両目に乗っていました。くの字に折れ曲がり、犠牲者が一番多かった車両です。
淺野さん
「いま搬送しているものがあるんで。ちょっとまだ、それがわからんと。」
妻と対面できたのは、事故から40時間後のこと。一級建築士の淺野さんを、経理として支え続けた妻との突然の別れでした。
事故の「原因」は、23歳の運転士のスピード違反。
JR西日本は事故当日、全く異なる原因を発表していました。
JR西日本の担当者
「石等がレール上にあって、"粉砕痕"というものを確認しております」
さらに当時の会長は、通夜の場で「今後、補償の話は…」と、お金のことを口にしました。
38年間、連れ添った妻。その死を、無駄にはしない。
JR西日本の社長が遺族との話し合いに応じたのは、事故から半年後。
淺野さん
「鉄道事業者としての説明責任を第一義とするっていう言葉は、垣内社長はどう認識しているんですか?。それは、遺族や負傷者が一番知りたいことを、説明すべきだと言っているんですよ」
JR西日本・垣内社長(当時)
「事故調なりに、いろんなデータ等もおさえられているということもあって…」
淺野さん
「原因究明をしなさいなんて、私は言っていない。それは事故調がやるんだよ。(JR西日本が)反省にいたる根拠や理由があるはずです。それを説明するのが、説明責任ではないんですか?」
2年後に公表された、航空・鉄道事故調査委員会の報告書では、『日勤教育』の存在が示されました。
草むしりや反省文を書くといった、懲罰的な再教育。
オーバーランのミスをしていた運転士が、『日勤教育』を心配し、注意力がそれた可能性が指摘されています。
淺野さんはその後、遺族とJR西日本の「課題検討会」などで、再発防止のための安全対策をまとめてきました。
2023年8月、台湾へ。安全への取り組みについて教えてほしいという政府からの依頼でした。
2021年、台湾で起きた「太魯閣(タロコ)号脱線事故」。電車には約500人が乗っていました。電車とぶつかったトラックは、台湾鉄道が発注した斜面の補強工事を行っていました。
遺族代表の陳鵬年さん(41)。家族6人で「太魯閣号」に乗っていて、妹と4歳の娘を亡くしました。
台湾鉄道と遺族の会合では。
陳さん
「台湾鉄道には、もっと問題を広く検証してほしいのです」
台湾鉄道 担当者
「最も基本的な問題は、この下請け業者が規則違反の工事をしていたことです」
淺野さん
「自らの組織にメスを入れないと。そこの勇気が大事なんです。人が亡くなっているんです。子供さんが亡くなっているんです。そのことを自覚したときには、事業者としては弁解ではなくて、自ら事故原因を分析して説明する、その責任を果たしてください」
台湾鉄道の姿は、かつてのJR西日本に重なりました。
淺野さん
「説明するのは、台湾鉄道の責任。理解するのは、遺族の責任。怒るときは、怒ったらいいんです」
福知山線脱線衝突事故から19年。当時63歳だった淺野さんは82歳になりました。
いま、JR西日本の社員は、68%が事故後に入社。淺野さんは、若手社員との意見交換会を行い、鉄道の安全を脅かすリスクを排除する、『不断の努力』が大切だと訴えました。
淺野さん
「台湾の話と一緒で、火をつけに行っている。あるいは、種をまいているんです。それが、ある時に芽が出てくる可能性があるわけです。それを期待しているだけ」
記者
「淺野さんがJRに向き合う根底にあるものは、やはり怒り?」
淺野さん
「技術者の矜持(きょうじ)でしょう。技術者のプライドですよ」
妻への心からの弔いは、まだ道半ばです。
2024年4月28日放送 NNNドキュメント’24『命を運ぶ電車 JR福知山線事故19年 安全への道標』をダイジェスト版にしました。