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【失敗からの逆転劇】H3ロケット「こういう日が来るから」 “打ち上げ成功”まで…技術者たちの2516日 <NNNセレクション>

2024年4月20日 14:29
【失敗からの逆転劇】H3ロケット「こういう日が来るから」 “打ち上げ成功”まで…技術者たちの2516日 <NNNセレクション>

今年2月、見事打ち上げに成功したH3ロケット。歓喜にわいた現場だったが、その道のりは困難を極め、1年前の打ち上げ失敗では280億円の貴重な衛星もろとも失っていた。

取材班は、国の威信をかけた巨大プロジェクトの舞台裏に7年間密着し、その軌跡を追った。挫折を経験した技術者たちの合言葉は「Return To Flight」。JAXAの責任者は、打ち上げ成功後の会見で「失敗が技術者を強くする」と語った。

■ロケットの失敗は「やっちゃいけないこと」

2024年2月17日午前9時22分―――。ついにH3ロケット2号機の打ち上げに成功した。

JAXA・岡田匡史プロジェクトマネジャー
「ものすごく重い肩の荷が下りた気がします。ロケットの失敗はやっちゃいけないことなんですね」
「ただ失敗があると、ものすごくエンジニアが強くなる。この1年で強くなったエンジニア。本当に『後はよろしく頼むぞ』と」

三菱重工の柴田晶羽(あきは)さんは、「失敗したときに、すごいつらかったんですよね。もう会社辞めたいなと思ったんですけど…」と、目頭を押さえながら話した。

それでも、ロケット技術者たちは、何度も襲いかかる困難に立ち向かってきた。

■子どもをあやす父の顔 現場では「笑えない」

新型ロケットH3は、10年前から開発が始まった。2018年9月、ロケットに搭載する新型エンジン「LE-9」は、着火試験のため秋田・大館市の田代試験場へ向かっていた。

設計したのは三菱重工の前田剛典さん。「設計したのが自分なので、“重心がこうだから、こっちを先に引っ張る”とか、物をのっけてもいい場所も分かるので」と、引き締まった表情で作業を見つめていた。

ただ、その前田さんも一児の父親。家では、当時生後5か月の七海(ななみ)ちゃんをあやしていた。“試験場で見せる表情とは全然違う”という記者の質問に―――。

前田さん
「違います?あっちでは笑わないですもんね。笑えないですからね」

■先輩はなく…自分だけでトライアンドエラー

若い技術者たちも奮闘していた。三菱重工・長崎茜さんが挑戦していたのは、日本初となる3Dプリンターによるロケット部品の製造だ。

長崎茜さん
「先輩方からの意見を聞けずに、自分でやってトライアンドエラーで闘っていくしかないのが、なかなか大変でした」

長崎さんと同期入社の柴田晶羽さんは、打ち上げ時の強烈な振動をおさえる部品「PSD(=Pogo Suppression Device)」を設計した。

柴田さん
「振動試験というのをやっていて、そこで壊れています。会社を辞めようかと思いました」

■最悪の事態から“53分後”

2023年3月7日、鹿児島の種子島宇宙センターで、技術者たちは最悪の事態を目の当たりにした。「ロケットはミッションを達成する見込みがないとの判断から、指令破壊信号を送信しました」と告げるアナウンス―――。

だが、失敗から53分後に緊急対策会議が開催され、“世界に負けてなるものか”と、技術者たちの不屈の挑戦は続いた。

■刻まれた3000のメッセージ

その年の11月、プロジェクトの責任者であるJAXAの岡田匡史さんにも笑顔が戻っていた。ひとつひとつ、つぶしていった不安や課題―――。

JAXA・岡田プロジェクトマネジャー
「ここまで仕上がりましたね、LE-9」
「どうしても難しいところが、1つ2つ残っているけれども、そこさえ片付ければ世界に誇れるエンジンになってるな。頑張りましょう」

ロケット先端にある、衛星を守るカバー・フェアリングには「RTF」という文字が記されていた。「Return To Flight」―――。

その文字の中には、“小がた人工えいせいをうちゅうへ!”“がんばれ!がんばれ!がんばれっ!”といった、全国のファンが寄せた3000ものメッセージが記されていた。

2024年2月、機体は発射台へ向かった。

JAXA・岡田プロジェクトマネジャー
「やっぱり1回失敗してしまっているので、今度は何も起こらないでほしいな」
「“やり尽くしたんだから”という思いです」

■失敗からの復活劇 「よっしゃー!」

そして翌日。打ち上げ当日の2月17日。カウントダウンが刻まれるなか、技術者たちは食い入るようにロケットを見つめていた。

岡田さんの「よっしゃ」という声と共に打ち上げられたロケット。今回の大きな目的はふたつ。前回着火しなかった2段エンジンを計画通りに着火・燃焼させること、そして停止させることだ。

「メインエンジン燃焼開始」というアナウンス。続いて「第2段エンジン第1回燃焼停止」と響くと、行方を見守っていた技術者たちは歓喜に包まれた。抱き合う技術者たち。失敗からの、復活劇だった。

■「こういう日が来るから大丈夫だよ」って

「LE-9」を設計した前田剛典さん。着火試験のとき赤ちゃんだった七海ちゃんは 5 歳になっていた。

打ち上げ時の強烈な振動をおさえる部品「PSD」を設計した柴田晶羽さんは、「失敗した時にすごいつらかったんですよね。だから、失敗して次の日の朝に、駅のホームでどうしても電車に乗れなくて」と振り返った。

柴田さん
「このまま実家に帰って会社をやめちゃいたいなと思ったんですけど…」
「その日の自分に“こういう日が来るから大丈夫だよ”って伝えたいですね」

今年3月、次のH3ロケット3号機の機体が公開された。宇宙開発の未来のために―――。ここからが、世界との勝負となる。