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事故から14年 線量計身につけ4000人以上が今も廃炉作業へ

2025年3月9日 9:00
事故から14年 線量計身につけ4000人以上が今も廃炉作業へ
福島第一原発までの道(大熊町・今年1月)

事故から14年が経過した東京電力福島第一原子力発電所。地震発生の9日後から福島県に入り、現在も廃炉の進捗(しんちょく)を地域の住民などに説明し続けている経済産業省の木野正登さんと『福島第一原発の今』を取材した。

今年1月、私たちはJR福島駅から木野さんと車に乗り、そこから南東に約1時間半ほど走って、東京電力福島第一原子力発電所に向かった。

今も南相馬市、大熊町、双葉町、富岡町、浪江町、飯舘村、葛尾村の一部は、帰還困難区域に指定されたままだ。

福島第一原発に向かう途中、こうした地域を通った。

道路脇に立てられたフェンスの向こうの家々。窓から、色あせ破れたカーテンや、倒れかけた家具が見えた。人の姿は見られない。

【福島第一原発へ】

福島第一原発に近づくと、ゲートやフェンスが設置されている。

東京ドーム約75個分の広さの福島第一原発は、廃炉作業中ではあるが、今も大量の核物質がある施設だ。そのためテロ対策としての厳重なチェックを受ける。原発施設に入るには、パスポートなどによる身分証明も必須だ。

現在も1日4000人以上の作業員が廃炉作業に従事していて、その数は、一人ひとりが身につける線量計の貸出数によって、管理されているという。

福島第一原発に入ると、まず目に入るのはタンク群。原子炉建屋に雨水や地下水が流入することで生じる汚染水や、それを特別なフィルターで浄化処理した処理水が管理されていて、1000基以上のタンクが所狭しとひしめいている。

その向こう、海沿いに並ぶ1号機~4号機の原子炉建屋から、巨大なクレーンが空にのびていた。

原発施設内には、作業員がセルフで給油できる無人のガソリンスタンドや、簡易的な医療施設、救急車なども整備されていた。

事故当時に汚染された恐れのあるものや廃炉現場で使用された車両は敷地外に出せなかったため、給油・タイヤ交換から医療まで「施設内ですべてを完結させる必要があった」と木野さんは説明する。

一角に、大量の軽トラックや乗用車が並べられていた。ピンク色のリボンがつけられナンバープレートが外されている。

事故当時から敷地内にあった車両は、汚染されているため今は使用できないものの、処分方法もまだ決まっていないのだそうだ。見るとやや古い型式のものが多い。まるで時が止まっているように感じた。

原子炉建屋最上階にある燃料プール冷却のために、当時投入された巨大ポンプ車、通称「キリン」も残されていた。

【なぜ事故は起きたのか】

福島第一原発の1号機から4号機は、いずれも海抜10メートル以上の地盤に建てられていたが、それ以上の高さの津波に襲われ大量の海水が流入した。

配電盤や非常用発電機など、電力供給のために重要な設備は、ほとんどが地下階に設置されていて水没。

各号機で電源を失い、原発で最も重要な「原子炉の冷却」ができなくなった。

核反応が制御できずに1号機から3号機がメルトダウンする。溶け落ちた核燃料がコンクリートや水と反応し、大量の水素が発生。地震の翌日に1号機、その後3号機、稼働していなかった4号機まで水素爆発し、原子炉建屋上部の分厚いコンクリートの壁や屋根が吹き飛んだ。

現在、3号機と4号機は、すでに上部が構造物で覆われている。私たちが取材した時、1号機のみで、水素爆発によってむき出しとなった骨組みがまだ見える状態だった。

しかしその1号機でも、上部を構造物で覆う作業が行われる予定で、事故当時の生々しい傷跡は、廃炉の進捗とともに、外見上は目立たなくなっていく。ただ、廃炉最大の課題はその内部にあるのだ。

【廃炉作業の最難関は燃料デブリの取り出し】

廃炉の最難関といわれるのは、燃料デブリの取り出し作業。取り出しが初めて行われたのは、昨年11月の2号機からで、その量はわずか0.7グラムだった。2回目の取り出しがこの春に計画されているものの、具体的なメドは立たず、取り出せたとしても最大3グラム程度だという。

なぜこんなに微量しか取り出せないのか。

作業は元々格納容器にある直径約55センチの作業用の穴から、釣り竿のような細長い機器を突っ込んで行われる。

放射性物質が外部に漏れ出る危険性があるため、格納容器に新たな穴は安易に開けられないのだそうだ。ただ細長いだけに、機器は非常に非力で、3グラム程度の採取がやっとなのだという。

メルトダウンした1号機~3号機で、燃料デブリは推定880トンあるとされている。人が近づくことができないため、溶け落ちた燃料デブリの分布や組成、どの程度の放射線量なのか、14年たった今でも把握できていないのが現実だ。

政府は廃炉の完了を、事故から最長で40年後、2051年としている。しかし燃料デブリの取り出しの行方は見えない。そもそも政府がいう、廃炉の完了とはどのような状態を指すのかも明確でない。

今回、原発施設内を取材できたことで、困難な課題と向き合い続ける現場を直接見ることができた。

廃炉が少しずつ進み、外見上も当時の傷跡が覆われつつあるものと、当時のまま残っているものが入りまじっていた。

最終更新日:2025年3月9日 9:00