犠牲43人、雲仙普賢岳大火砕流から丸31年 発生時刻にサイレン…深い祈り
43人が犠牲となった長崎・雲仙普賢岳の大火砕流から3日で丸31年です。
3日の島原市内は晴天となり、普賢岳の山頂は薄い雲の隙間から時折、その姿を現しました。
1991年6月3日、雲仙普賢岳のふもとを襲った大火砕流では、消防団員や報道関係者など43人が犠牲になりました。被災者が暮らす島原市の仁田団地には献花台が設けられ、市や県の職員、警察官らおよそ60人が朝から花を手向けました。
報道関係者やタクシー運転手らが犠牲となり、去年、災害遺構として整備された「定点」では地元の町内会やマスコミ関係者らが集まり、犠牲者の冥福を祈りました。
そして、大火砕流が発生した午後4時8分、普賢岳のふもとでは追悼のサイレンが鳴らされ、深い祈りに包まれました。