【昭和100年 映像館③】百花繚乱 昭和初期の“美人コンテスト”前編 昭和7年
昭和が誕生してから2025年で100年。欧米に追いつけ追い越せの激動の時代に、たくさんの映像を残したカメラマンがいました。そのカメラマンがレンズ越しに覗いた昭和の貴重なシーンを紹介します。第3回は、昭和初期の“美人コンテスト”(前編)です。
昭和初期は女性が接客をするカフェー(現在のクラブやキャバレー)が数多くありました。カフェーの女性従業員を対象に地元の新聞社が『海の女王撰定大会』なるイベントを開催。100人の女性が参加し、名古屋市内を車でパレード。最終審査の水着コンテストへと挑みます。今回は、昭和初期の風俗を描いた貴重な映像です。
■映像説明
集合場所の名古屋市公会堂から始まるこの映像は、1932年(昭和7年)8月14日の撮影です。名古屋市昭和区の鶴舞公園にある名古屋市公会堂は、1909年(明治42年:当時:愛知郡御器所村)に開園した名古屋市では、初めての公園です。その北側に建設された公会堂は、1924年(大正13年)に摂政宮(昭和天皇)のご成婚記念事業として建設が決まりました。1930年(昭和5年)に完成した名古屋市公会堂は、東洋一の文化と社交の殿堂とも呼ばれていたそうです。その公会堂の完成から2年後の1932年(昭和7年)。カフェーの女性従業員が集い、『昭和版・美人コンテスト』ともいえるイベントが開かれました。和装や洋装で集まった女性は100人。48のお店から参加しました。公会堂の前に並んだ車は、当時のハイカラな輸入車。お店の威信をかけ、旗や幟を掲げ応援しています。名古屋市公会堂を出発して、パレードへと向かった一行が目指したのは、主催の新愛知新聞社です。今の栄とみられる交差点では、おまわりさんが交通整理。シートベルトどころか、ドアを開けたまま乗っているお店の関係者らしき人も撮影されています。その後、向かったのは、愛電駅頭。愛電とは、愛知電気鉄道のことで現在の名鉄常滑線です。今の名鉄神宮前駅と見られています。向かったのは、愛知県知多市の新舞子駅。ここでも大観衆が女性たちを歓迎。そして、会場となる新舞子海水浴場で、水着審査が開始されます。
■カメラマン
名古屋出身の映像作家:横井湖南氏(1910年~1957年=明治43年~昭和32年)。昭和の初め、映像制作会社や映画協会設立に関わる。映画の楽しさや奥深さを伝えた映像作家の草分け的存在。
【映像提供:横井克宜氏】