戦後79年 軍隊の日々…得意の漫画に残した“特攻兵の思い”を加藤清史郎が取材
15日で終戦から79年です。漫画を描くことが得意だった少年が軍隊に入った後の日々の様子を、イラストに残していました。特攻兵となり、戦争によって未来を奪われた一人の少年の思いを、俳優で『news zero』水曜パートナーの加藤清史郎さんが取材しました。
一冊の本に描かれているのは戦時中の軍隊生活。射撃練習や飛行機の整備など、隊内での日々が軽やかに描かれています。
描いたのは、漫画が得意だった一人の少年、山崎祐則(すけのり)さん。特攻隊で出撃し、19歳で亡くなりました。
どんな人だったのか。妹の田所恭子さん(94)に話を聞きました。
山崎祐則さんの妹 田所恭子さん(94)
「『絵を描いて』と言ったら、すぐ描いてくれました」
加藤清史郎さん
「どんな絵を描いてもらっていたんですか?」
田所恭子さん
「だいたい漫画ですね」
今も残る、祐則さんが中学時代に描いたという漫画「風船行進曲」。そこには、風船で空を飛ぶ冒険物語が描かれていました。
加藤清史郎さん
「(色が)しっかりと残ってますね。かわいい絵だな」
祐則さんの夢は「空を飛ぶこと」。16歳の時に、海軍のパイロットを育てる「予科練」に志願しました。
田所恭子さん
「その頃は予科練にみんな行きたいし『僕は空や』というので、予科練にいきました」
祐則さんは入隊後も日々の様子を絵にしていました。ハンモックで寝起きし、飛び込みや相撲も。
漫画「予科練時代」より
「ハンモックから起きて。大変ダァ。朝礼に遅れてはならぬ」
家族宛ての手紙にも、愛らしいイラストとともに隊内での日々がつづられていました。
加藤清史郎さん
「すごく丁寧にハガキも、どれも絵が入っていますね」
祖母宛ての手紙より
「毎日の日課が楽しくてたまりません」
◇
そんな祐則さんを変えたのは、憧れの存在だった兄の戦死。父宛ての手紙には「兄上の仇(あだ)を討つ覚悟にござ候」とありました。
加藤清史郎さん
「祐則さんが、お兄ちゃんの敵をうつというのを、妹の田所さんとしては…?」
田所恭子さん
「つらいですよね」
それから“軍人としての覚悟”が書かれるようになり、得意だったイラストは次第に減っていきました。そして、戦争が激化する中、家族に届いた一通の手紙。実家の上空を自ら操縦する飛行機で飛んだことが書かれていました。
両親宛ての手紙より
「ご両親様。私が穴のあくほど家を見つめていたのを、虫の知らせでもご存じはないですか」
両親宛ての手紙より
「私の気持ちは、感激はしばらくの間、決して消える事は出来ませんでした。生きて会えるかどうかわかりません。しかし、家の上空二千メートルの近くまで、私は帰りましたよ」
これが、祐則さんにとって“最後の帰郷”となりました。
田所恭子さん
「特攻隊に出る前、うちの上を飛んだんです。どんな気持ちで飛んだか」
そして、1945年3月21日、特攻隊で出撃。入隊からわずか2年半後のことでした。
田所恭子さん
「行きだけの油しか積んでいきませんので、絶対帰れない。どれだけ向こうの軍艦をやっつけたか、それもわからんけど」
加藤清史郎さん
「(もし祐則さんが)その後も過ごしていたとしたら」
田所恭子さん
「漫画家になっていると思います」
漫画や手紙を通して祐則さんは、戦争の悲惨さ、平和の尊さを、後世に伝え続けています。
加藤清史郎さん
「『私はこんな気持ちでいっぱいです』ということがたくさんあるので、どんな生活をなさっていたのか伝わってくる。80年近くがたっているが、今もなお」
田所恭子さん
「(祐則さんが)おったらなあと思いますね。本当に戦争だけはしてはいけません」
(8月14日放送『news zero』より)