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戦後80年 はるかなるテニアン 原爆投下に関わった米兵と被爆者の思い【NEVER AGAIN・キノコ雲の上と下】

2025年3月3日 15:16
戦後80年 はるかなるテニアン 原爆投下に関わった米兵と被爆者の思い【NEVER AGAIN・キノコ雲の上と下】

広島テレビの被爆80年に向けた取り組み『ネバーアゲイン』のひとつ「キノコ雲の上と下」。被爆者と、原爆を投下したアメリカの双方の視点から80年前の真相に迫ります。80年前、広島に原爆を投下したアメリカの爆撃機・エノラ・ゲイは、広島からはるか南のテニアン島から飛び立ちました。縁あってテニアン島に行き、原爆投下に関わったアメリカ兵と会った被爆者がいます。その胸中を聞きました。

広島市内に住む被爆者の梶矢文昭(かじや・ふみあき)さん85歳です。見つめているのは、今から20年前に撮影した写真です。

梶矢さんが手渡しているのは、広島で被爆した仏像です。

■梶矢文昭さん
「釈尊像が原爆で焼かれて、背中の方にケロイド状の焼けた後が残っている。ぜひ、テニアン島に寄贈して役に立ててくださいと持って行きました。」

広島からはるか南、北マリアナ諸島の一つテニアン。今から80年前、原爆を搭載したB29が広島、長崎に向かって出発した場所です。被爆者の梶矢さんは20年前、テニアン島で開かれた慰霊祭に招待されました。

そこで出会ったのが、原爆投下部隊の一員でした。

■梶矢文昭さん
「アグニューという人ではなかったかと思う。ハロルド・アグニュー。」

1945年8月6日、テニアン島からB29に乗り、広島に向かったアグニューは、原爆投下後のきのこ雲を撮影した人物です。

梶矢さんに会ったアグニューが、原爆投下について何と言っていたのかを聞きました。

■梶矢文昭さん
「本当にすまんことをした。広島には申し訳ないことをしたけれど、ただ私たちは命令に従って軍人として行動しただけで、結果的にたくさんの人を亡くさせてしまった。個人的には本当に申し訳ない、すまないと思っている。というニュアンスのことを話されましたね。」

梶矢さんは、6歳で被爆。2歳年上の姉・文子さんを原爆で亡くしました。アグニューに対して、怒りは無かったのか尋ねました。

■梶矢文昭さん
「ないよ。戦争じゃもん。個人的な問題じゃないもん。広島に原爆投下を命令されて、命令に従って原爆を投下した。個人の問題ではない。私は納得した。理解した。そうであろうと。個人的な恨みは全くといっていいほど無かったね。それは、直接現地(テニアン島)に行って、現地で(B29搭乗員に)話を聞くことによってわかること、感じることであると思いました。」

被爆から80年。「憎むのは戦争、核兵器」と語る被爆者は、今日も亡くなった姉を悼みます。

最終更新日:2025年3月3日 15:16
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