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コーチが怒らない野球チーム「野球を楽しむために、大人が邪魔しない」

2024年7月29日 18:58
コーチが怒らない野球チーム「野球を楽しむために、大人が邪魔しない」
笑顔の選手たち

東京都内の小学生野球チーム「練馬アークスJr.ベースボールクラブ」。その特徴はコーチが怒らない、高圧的な指導をしない、練習は原則、週に1回4時間程度、練習を休んでよい、保護者の当番がない…。これまで常識とされてきたものを一つひとつ必要かどうか吟味した結果だという。入団希望者が多く、募集を停止しているほどの人気チームを取材した。

■エラーでも怒らない、相手のファインプレーに拍手

ある週末、練馬アークスJr.ベースボールクラブの練習を訪ねた。キャッチボールをする選手のうち、特に2人が「ナイスキャッチ」「ナイスボール」と相手に声をかけている。全員が言っているわけではない。中桐悟代表に聞くと「意味のある声かけをしようと、常々言っているので、その選手は、それが意味あると考えたんでしょう」との説明だった。また、練習場所の移動の際、中桐代表は「次、何やるの? 次を考えて」と選手に呼びかけていた。「こうしろ」「これをするな」とは言わない。

試合中、ベンチの選手からは「球、走っているよ。いける!」などポジティブな声かけが。コーチからも「ナイス! 練習でやったことができてる!」など呼びかけ、三振やエラーをした選手をも叱らず、「バットを積極的に振った結果だ!」などと声をかける。

そして、よりよいプレーをするために「今のは後ろに行くか、前に行くか、どっちにすればよかったと思う?」「どうして、そのプレーを選んだのか」と問いかけ、選手に考えさせるのが特徴だ。試合中、相手のファインプレーにも一斉に拍手していた。

中桐代表いわく「相手を認め、大切にすることは、自分を大切にすることにつながりますよね。それに、うちは対戦相手を“敵”とは呼ばないです。“相手チーム”と言います」「うちのコーチは選手に前向きな声かけしかしないんで、選手もネガティブな声かけを知らないんじゃないかな」

■なぜ「怒らないチーム」を?

銀行勤務の中桐氏が少年野球チームをつくったのは2021年春。彼は中学時代、野球部で怒鳴られることや、練習を1日休むと「取り返すのに3日かかる」と根拠のないことを言われ、休むことが犯罪のようになっていたことなどが本当につらかったという。

長男が野球をやりたいと言った時、妻は当番を担えないから無理だと言い、入れそうなチームがない、それなら自分で、とチームをつくった。コンセプトは「こども中心」で、気軽に皆で野球を楽しむこと。運動神経抜群でなくても、野球が好きという子が入れるチームが必要だと考えた。

誰もがプロ野球選手になるわけではない。これからの社会に必要な人間を育てるには? それまで「普通」とされてきた、野球チームのしきたりを書き出し、本当に必要なのか徹底的に考え、様々なことをやめたという。

●罵声や高圧的な指導を完全禁止。

論理的で意味ある声かけをする。コーチ陣の話し合いで、そうした意識を統一する。

●勝利至上主義を否定。なるべく全員が試合に出る。

しかし、勝負を捨てるわけではないという。勝ちにいくが、全員を試合に出す。その両立を目指して悩むことこそ、大人の役目だと中桐代表は言う。

また原則、ポジションは本人がやりたいところを任せる。やりたいことをやることで、うまくなるからだ。試合ではベンチでよく声を出す、ボールを拾うなど貢献する姿勢の選手を起用するという。

小雨の日の試合前、あるコーチが全員に向かって「集中が切れた選手はベンチに戻す」と話した。「一生懸命やらないと、罰として外す」と言うのかと思いきや、コーチは「グラウンドが滑りやすいので、プレーに集中できないとケガをするから」と話した。「こうすべき」の押しつけでなく、ケガ予防という理由だと、こどもも納得するだろうと感じた。

雨で試合時間短縮が予想され、試合に出られない可能性が高い低学年の選手の中から、コーチが「泥がついたバットやボールを拾う係」「ボールを洗う係」「雑巾で拭く係」を募集。立候補で決めたため責任感が増したのか、試合には出なくても、懸命にボールを拾うなど、役目を果たす低学年生の姿は、ほほ笑ましかった。

●コーチがサインを出さない。

大人の指示通り動くのではなく、自分で考えたプレーを、がモットー。試合ではどんどん走って点を稼いでいたし、ある外野手が捕球後、セオリー通りでなく、一塁に球を投げた時も、コーチはそれを面白がっていた。セオリーは変わるものだからという。ただし、鍵になる場面では「守備位置。あと5歩、下がろうか」「後ろから捕ろうね」など具体的な指導が見られた。ちなみに、試合後のコーチ陣による講評も極力短くを徹底している。

●練習は土日の4分の1程度。

例えば、土曜の午後4時から7時など。(今は熱中症対策で夕方に練習)そして理由を問わず、欠席可能だ。家族との外出や、ほかのスポーツなどをする環境を確保するため。また練習が短いからこそ、物足りなくて帰宅後に自主練習をする選手もいるという。やる気がなさそうに見えた子でも、何かをきっかけに「もっとうまくなりたい」と思って自主的に練習し、大きく伸びる例もあり、小学生のうちから追い込むような練習は必要ない、野球が好きなら自分から伸びていくという。

中桐代表は「チームのレベルは中の上ぐらい。週1回の練習にしては予想外に力がついてきた」と話す。見ていると、「ゆるい」「何でもあり」ではなく、コーチの話を背筋を伸ばして聞く、控え選手も遊んでいないで、試合展開を意識して集中して応援するなど、指導がされていた。

●保護者の当番廃止。

共働きが増える中、当番に入る余裕がなく、こどもを野球チームに入れられないという声があるため。さらに特徴的なのは、試合の応援をする保護者に「もっとリード取れよ」「なんで打てないんだよ」といった指示や叱責をやめてもらっている点だ。多くの保護者が試合を見に来た際も、聞こえるのは点が入った際などの拍手のみで驚いた。

●コーチは保護者やOBではない。

保護者などが指導すると当たり外れが大きいことから、一定の専門性のある人にコーチ代を出して指導を依頼している。準備運動などはトレーナーを仕事にしている人が担当し、理論に基づいた方法や定期健診でスポーツ障害を防止。チーム設立当初は、大学教授から熱中症対策などの助言を受けたという。

また、ある時は中桐代表の母校、早稲田大学の女子学生が小学1年生の捕球練習をサポートしていた。彼らは野球とは関係のない学生で、様々な年上の人と接することがこどもの刺激になると考えてのことだ。

■選手、保護者は…

選手からは野球が楽しいという声が聞かれた。また「前向きな声かけをしてもらったらうれしいので、自分が声を出す時も、そうしている」という選手も。試合中、ピンチに陥った投手に声をかけた内野手に後から聞くと「ツーアウトだよ。あとアウト1つだよ。大丈夫」と言ったそうだ。中桐代表は、よく「ピンチの時、一番ストライクを入れたいのは、その投手本人だ。ストライク入れていこう!ではなくて、どう声をかけるといいか考えて」と言っているのだ。ある選手は学校の先生から「○○くんはクラスで、いつも前向きな声かけをしている」と感心されたという。

野球経験のある保護者も「こどもが野球を楽しめている。ここ(アークス)だから良かったと思っています」と話す。

■自分で考える人間を育てる

中桐代表は、こどもと接する中で「大人が描く正解を探りに行く子」が多いと感じている。学校や社会で、そうした子が「いい子」だと見なされがちなので、大人の期待に応えようと、こどもはそう振る舞っているのではないか。しかし、今後必要なのは、大人の指示通りに動く人間よりも、自分で考える、次の一手を考える人間ではないかと話す。

練馬アークスのメンバーは1年生から6年生まで44人。入部希望者が多く、現在募集を停止している。こどもを中心に据え、怒らないチームの需要が高まる中、供給が足りていないのではという。最後に、中桐代表に「こどもが野球を楽しむためには」と問うと、答えはこうだった。「大人が邪魔をしないことですね。大人が、みんな邪魔しちゃってると思うので」