特集「キャッチ」九州北部豪雨から6年 祖母の味を受け継ぎ そば店が6年ぶりに営業再開
そば店が豪雨から6年ぶりに営業再開
特集「キャッチ」は、九州北部豪雨についてです。福岡県東峰村で6月、1軒のそば店が豪雨から6年ぶりに再開を果たしました。祖母から孫へ味を受け継ぐことを決断した男性の思いに迫ります。
朝7時、福岡県東峰村小石原のそば店『山乃茶屋』で仕込みに追われるのは、栁瀬拓也さん(34)です。
■山乃茶屋・栁瀬拓也さん(34)
「こねが足りなかったら祖母から『こねが足りん』と言われていたので、たくさんこねるようにしています。」
栁瀬さんが毎朝打つそばは、そば粉8の割合に小麦粉2の割合を混ぜた二八そばで、太くて短い麺が特徴です。カツオやイリコ、カシワなどでとったダシに旨みたっぷりの鴨肉を乗せた鴨南そばが名物です。その家庭的な味は、50年以上前から多くの人たちに愛されてきました。山乃茶屋は空腹を満たすだけでなく、地元の人や常連客が世間話に花を咲かせる“地域のよりどころ”でもありました。
■栁瀬拓也さん
「近所の友達もそうだし、たまり場になることが結構多かったので、うどんそば屋さんですけど“交流の場所”じゃないが、僕の中ではそういう意識で。」
そんな日常を襲ったのが、6年前の九州北部豪雨でした。
■拓也さんの父・栁瀬英造さん
「ここにちょうど線があるんですけど、色の違い分かりますか?この辺まで(水が)上がった。業務用冷蔵庫の大きいやつが流されて、横向きになっていた。(厨房の)中は悲惨なものです。」
店には膝の高さまで泥水が流れ込み、調理道具やテーブルなど、ほとんどのものが使えなくなりました。被害額は1000万円にのぼり、当時店を切り盛りしていた祖母・トミカさんは、店を畳むことを決めました。
この時は、まだ朝倉市の農業協同組合で働いていた拓也さんは、豪雨から2週間たってようやく、変わり果てた店の姿を目の当たりにしました。
■栁瀬拓也さん
「(店を)やめるようになるっていうことを聞いても、実感がないというか、ただぼう然とした。」
豪雨から5年以上がたち、村は少しずつ復興への歩みが進んできましたが、『山乃茶屋』を再開するめどは立たないままでした。
■栁瀬拓也さん
「店の前にいたら昔の常連客が声をかけてくれて『再開せんのー』とか、地元の消防に行ったときに、先輩から『復活せんと?』と 言葉をたくさんいただいたので、(再開)をしたほうがいいなと自分の中で思いました。」
再開を求める多くの声に背中を押され、拓也さんは農業協同組合を辞め、店を継ぐことを決意しました。ことし1月から祖母・トミカさんからそば打ちを学び、『山乃茶屋』伝統の味を受け継ぎました。
そして6月16日、店は約6年ぶりに営業再開を果たしました。待ちに待った味を求める常連客の姿は、再オープンから2週間たった7月2日も、途絶えることはありませんでした。
■常連客
「おめでとうございます。待ってました。」
■常連客
「楽しみにしていた。」
「おいしかったですもんね、ここ。」
「(Q.またオープンすると聞いてどうだった)ものすごくうれしかった。また、あのおいしいそば食べていいのかと思うと楽しみ。だからきょうは(店に)着くのが早すぎた。」
■栁瀬拓也さん
「お待たせしました。鴨南そばです。」
■常連客
「うーん、おいしい。」
■常連客
「おいしい。よかった、幸せ感たくさん。思い出す、味がね。」
「変わってないね。」
■栁瀬拓也さん
「昔来ていた常連さんだったり地元の人だったりが『再開を待っとったよ』と言ってくれるのは、すごくうれしかった。しっかりお客さんの期待に応えられるように、これから頑張りたいと思います。」
6年ぶりに、『山乃茶屋』の“日常”が戻ってきました。拓也さんが受け継いだ味は、これからも人と人をつなぎ続けます。
朝7時、福岡県東峰村小石原のそば店『山乃茶屋』で仕込みに追われるのは、栁瀬拓也さん(34)です。
■山乃茶屋・栁瀬拓也さん(34)
「こねが足りなかったら祖母から『こねが足りん』と言われていたので、たくさんこねるようにしています。」
栁瀬さんが毎朝打つそばは、そば粉8の割合に小麦粉2の割合を混ぜた二八そばで、太くて短い麺が特徴です。カツオやイリコ、カシワなどでとったダシに旨みたっぷりの鴨肉を乗せた鴨南そばが名物です。その家庭的な味は、50年以上前から多くの人たちに愛されてきました。山乃茶屋は空腹を満たすだけでなく、地元の人や常連客が世間話に花を咲かせる“地域のよりどころ”でもありました。
■栁瀬拓也さん
「近所の友達もそうだし、たまり場になることが結構多かったので、うどんそば屋さんですけど“交流の場所”じゃないが、僕の中ではそういう意識で。」
そんな日常を襲ったのが、6年前の九州北部豪雨でした。
■拓也さんの父・栁瀬英造さん
「ここにちょうど線があるんですけど、色の違い分かりますか?この辺まで(水が)上がった。業務用冷蔵庫の大きいやつが流されて、横向きになっていた。(厨房の)中は悲惨なものです。」
店には膝の高さまで泥水が流れ込み、調理道具やテーブルなど、ほとんどのものが使えなくなりました。被害額は1000万円にのぼり、当時店を切り盛りしていた祖母・トミカさんは、店を畳むことを決めました。
この時は、まだ朝倉市の農業協同組合で働いていた拓也さんは、豪雨から2週間たってようやく、変わり果てた店の姿を目の当たりにしました。
■栁瀬拓也さん
「(店を)やめるようになるっていうことを聞いても、実感がないというか、ただぼう然とした。」
豪雨から5年以上がたち、村は少しずつ復興への歩みが進んできましたが、『山乃茶屋』を再開するめどは立たないままでした。
■栁瀬拓也さん
「店の前にいたら昔の常連客が声をかけてくれて『再開せんのー』とか、地元の消防に行ったときに、先輩から『復活せんと?』と 言葉をたくさんいただいたので、(再開)をしたほうがいいなと自分の中で思いました。」
再開を求める多くの声に背中を押され、拓也さんは農業協同組合を辞め、店を継ぐことを決意しました。ことし1月から祖母・トミカさんからそば打ちを学び、『山乃茶屋』伝統の味を受け継ぎました。
そして6月16日、店は約6年ぶりに営業再開を果たしました。待ちに待った味を求める常連客の姿は、再オープンから2週間たった7月2日も、途絶えることはありませんでした。
■常連客
「おめでとうございます。待ってました。」
■常連客
「楽しみにしていた。」
「おいしかったですもんね、ここ。」
「(Q.またオープンすると聞いてどうだった)ものすごくうれしかった。また、あのおいしいそば食べていいのかと思うと楽しみ。だからきょうは(店に)着くのが早すぎた。」
■栁瀬拓也さん
「お待たせしました。鴨南そばです。」
■常連客
「うーん、おいしい。」
■常連客
「おいしい。よかった、幸せ感たくさん。思い出す、味がね。」
「変わってないね。」
■栁瀬拓也さん
「昔来ていた常連さんだったり地元の人だったりが『再開を待っとったよ』と言ってくれるのは、すごくうれしかった。しっかりお客さんの期待に応えられるように、これから頑張りたいと思います。」
6年ぶりに、『山乃茶屋』の“日常”が戻ってきました。拓也さんが受け継いだ味は、これからも人と人をつなぎ続けます。