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遠い戦争の記憶つなぐ「軍人像」天草での調査に同行 戦地から家族への手紙

2025年4月2日 11:54
遠い戦争の記憶つなぐ「軍人像」天草での調査に同行 戦地から家族への手紙
天草に今も立つ軍人像
長い時間が過ぎ、戦争の記憶の継承が課題となる中天草地方に多く残される「軍人像」の調査にKKTのカメラが同行しました。「軍人像」とは、明治以降の戦争で亡くなった軍人を慰霊・顕彰する目的で製作・設置された像のことです。武勲を立てて勇敢に戦死した軍人が神格化された「軍神」の像とは区別されます。

■髙谷和生さん
「157ですね」

■平瀬礼太さん
「等身に近いパターンですね」

山本久七像「軍人像」は全国各地に残されていますが、県内では19体が確認され、このうち13体が天草地方に集中しています。今回、中部地方の軍人像の調査研究を進める愛知芸術文化センター愛知県美術館長の平瀬礼太さんとくまもと戦跡ネットワークの髙谷和生さんが実施した調査にKKTのカメラが同行しました。

■平瀬礼太さん
「あーでもこれか。なるほど。かなりこれはきれいですね」

■髙谷和生さん
「胸の徽章、それと襟章のところには13という数字がありますね。これは第6師団の熊本編制の部隊は第13連隊」

■平瀬礼太さん
「昇進して…けっこう記録全部入ってますね」

■髙谷和生さん
「これも昭和12年11月19日に。なので同時期に作られた物かなとほぼ同時期に戦死されています」

戦死した我が子を思って建てられた像でしょうか。表情にはどこか幼さが残っています。

■平瀬礼太さん「予想以上にきれいに作ってらっしゃるなと。童顔なんですよ。皆さん大体。若いからってのもあると思うんですけど、綺麗に作られてるんですよね」

■髙谷和生さん
「石工さんの話ですと全体は荒砥でやっても、仕上げはですね、顔のところと手のところ、手首から下と顔はですね、いちばん目の綺麗な砥石で細工をすると言われました」

髙谷さんによりますと、天草にはこの祗園橋を造った江戸時代から続く優秀な石工集団「下浦石工」がいて、軍人像のいくつかを作ったということです。

■愛知芸術文化センター愛知県美術館長・平瀬礼太さん
「等身に近いものが多いですのでお亡くなりになる前の姿に近い形で作られているのではないかなということを感じました。きれいに残っていて仕上げもきれいだという印象をすごく強く受けますしやはりこの土地の素材を使って土地の職人さんがいらっしゃったって背景がものすごく強いのではないか」

天草市栖本町には周囲に木が生い茂り、藪の中にたたずむ像も。「陸軍上等兵林辺又市之墓」と刻まれています。

■髙谷和生さん
「林辺家の跡がたどれないですね、残念ながら」

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