東日本大震災から14年、震災後に神戸から移住した男性のメッセージ【知らないから、伝えたい】#知り続ける
記憶と教訓をつなぐ取り組みがそれぞれに行われるなか、若い世代や移住者などその立場は様々です。
「知らないから、伝えたい」ー。
震災後に、神戸から移住した男性のメッセージです。
仙台市にある宮城県第二工業高校です。
挨拶)起立・礼!おねがいします
電気科2年生の担任を務める岡田卓也さん(48)です。
岡田さん
「当時神戸で同じ高校の教員をしていたんですけれども、テレビつけたらすごいことになってるのがわかって」
次なる被害を、防ぐためにー。
神戸で生まれ育った岡田さんが、高校3年生の時 阪神・淡路大震災が起きました。
岡田さん
「阪神淡路大震災があって、僕もその時 高校生で家もなくなったりしたんですけど、 その時にあちこちからきてるボランティアに助けていただいたっていう体験があるんで」
東日本大震災から11日後、岡田さんは宮城・石巻市を訪れ、ボランティア活動を始めました。
岡田さん
「こっちに来て、被災者の人とふれあってるとみなさん優しいんですよね。どっからきたの?って言われて神戸からきましたっていうと、そんな遠くからわざわざありがとうねって言われてね」
震災から3年後。
岡田さんは、宮城への移住を決意します。
岡田さん
「1年もすると、神戸の方でも風化といいますか『え、また行くの?何しに行くの?』みたいな否定的な感じで聞かれたのが気になって。僕が移住して暮らしていれば、神戸の友達にも忘れないでいてもらえるというか」
今は、仙台市で教壇に立ちながら、長い休みが取れれば能登へボランティアにも向かいます。
自分の経験は、生徒たちにも伝えてきました。
生徒
「よく授業前とかに話もしてくれるので、そういう話を聞くと自分たちも(ボランティア)行きたいなって」
岡田さんがつなぐ、支え合う気持ち。
岡田さん
「僕は東日本大震災は知らないです、その日その場にいなかったし。ただその前に阪神淡路大震災は 経験しましたし、実際に見たり体験したりしたこともいっぱいあるんで、生徒たちには知らない人がきて教わったりするよりは、いつもお世話になってる先生から聞く方がよりリアリティがあると思いますし、そういう形で伝えることが私にできることかなと思っています」