踊町もファンも見物客も “心ひとつに” 歓喜の中で力振りしぼり奉納を 長崎くんち後日に密着《長崎》
踊町に、くんちファンも…。
街中を熱気に包んだ今年の長崎くんちも、9日がいよいよ最終日。
「後日」の一日に密着しました。
長崎くんち、最終日の朝。
麹屋町のメンバーは、いつも通りのリラックスした表情でこの日を迎えました。
(根曳)
「きついってなんですか。楽しいきつさはすぐ忘れる。あす終わったときに、ガクッときそう」
(記者)
「声は大丈夫ですか?」
(根曳)
「なんとか。裏声が通る、こっちのほうが通る」
今年のくんちを “最初で最後の挑戦” と位置付けた根曳最年長の實藤 康史さん。
(實藤 康史さん)
「心地よい疲労感と達成感の中プラスみんなの最後なので心ひとつに頑張りたい。思い残すことのない充実した人生最高の一日にしたい」
2日間で声も、体も、すでに限界を迎えている根曳たち。
いよいよ 2024年の “最後の船出” です。
(根曳たち)
「行ってきまーす」
向かった先は、元船町のお旅所。多くの観客が見守る中、演技が始まります。
笛の音を合図に、重さ3トン、全長6.5メートルの川船最大級の船が、ゴーっと音を響かせながら、回る、回る、回る!。
力を振り絞り、5回転半の大技「梅の風車」も無事に決めました。
(見物客)
「川船は7か町あるが、1、2を争う町だと思っている」
(見物客)
「川船が一番こっちまでグイっとくるので良かった。麹屋ヨイヤー」
(實藤 康史さん)
「よくできたんじゃないかな。3日間あっという間。仲間と過ごす時間も長くて楽しかった。このあとまだ諏訪もあるし、庭先も残っているので、それまでは集中して頑張りたい」
午後1時。
お旅所と諏訪神社で、7つの踊町すべての奉納が終わり、3基の神輿が諏訪神社へ。
八幡町をはじめ、各踊町は最後の力を振り絞って「庭先回り」に繰り出します。
鯱太鼓を奉納したのは、銀屋町。
(商店街の人)
「最高。テレビで見て、生でみたいなと思っていたからよかった。うれしかった」
(見物客)
「五島市の出身だが、生まれて初めて見てすごく感動した。この後の仕事も頑張れる」
長崎市出身で、現在は東京で暮らしているくんちファンの一家。
この春に生まれたばかりの子どもを連れて、見物のために帰省したといいます。
(くんちファン)
「弟を見に帰ってきた。3日間くんち漬け。さみしい。(くんちが終わると)ぽっかり空きそうで。全力で1日全部 楽しみたい」
(くんちファンの妻)
「知り合いに(子どもの服を町の手拭いで)作ってもらって手作りで。気合い十分だもんね。初めてのくんち」
銀屋町が7日から3日間で回るのは、約2500軒。8日までに1600軒を回り、メンバーたちの疲労はすでにピークに達しています。
(銀屋町 担手)
「体中、全部痛いです」
(銀屋町 担手)
「今は痛み止めを飲んでいた。恥ずかしい。ひじが痛い。(山飾を上げた後)受ける時にひじを使うので、実はきのう注射を打ってもらって。頑張る あと少し」
たくさんの見物客に最高の演技を披露しようと、山飾を上げ続けます。
親子で初共演となった大野 大輝さん、長男の晃輝くんも体力は限界ですが、互いに励まし合い気持ちを高めます。
(担手 大野 大輝さん(35))
「本場所ですごく出し切って感動したが、きょう1日まだあるので、最後 鯱を片付けたときに感動の涙を流せるように頑張る。体もボロボロ、声はガラガラ。みんな同じだと思うが、気合で乗り越えたい」
(囃子方 長男 晃輝くん(4))
「たのしかった。がんばる」
満面の笑みを浮かべて、山飾と記念撮影するくんちファンの女性は80歳。
近くで見る鯱太鼓に大興奮のようです。
(80歳の女性)
「幸せ、ラッキーきょうは。うわーっブラボー」
今年、6回目の奉納を迎えた銀屋町にもオールドルーキーがいます。
51歳で据太鼓に初挑戦した齊藤 誠史さん。
10年前の前回と前々回にも出場を試みましたが、ケガなどで途中離脱。
最後までやり切りたいと臨んだ7日「前日」の奉納踊では、堂々としたバチさばきを見せていました。
そして最終日の9日も、力強くバチを握ります。
(据太鼓 齊藤 誠史さん(51))
「満身創痍で薬飲みながらやっている。遅咲きの青春になっている。楽しんでいる。いつでもどこでも 泣けるくらいの気持ちでずっとやっている。ひと場所、ひと場所が、いい思い出になっている」
出演者や踊町関係者にくんちファン、それぞれが特別な思いで臨んだ3日間。
長崎のまちは熱気と感動に包まれました。
各踊町はこのあと、フィナーレを迎えます。