酪農大家族30年③お母さんのラブレター
今週シリーズでお伝えしている岩手県田野畑村の酪農大家族の30年。今回は五男二女を育て上げたお母さんの歩みです。
日本固有のシバと牧草に覆われた田野畑村の吉塚農場。牛は農場と採草地の草だけで育てられます。限りなく自然な農業・山地酪農の牛乳は安全でおいしいのですが獲れる量は一般の酪農家の3分の1以下。結婚して初めての収入を見た登志子さんはびっくりしました。
登志子さん
結婚して11月に結婚して一番初めに乳代農協から来るんですよね。明細書というか。いくら手取りがありますというそれを「おいこれ今月のだぞ」ってくれたんですよね。お金じゃなくて紙を見たんですね。そしたら手取り7円って書いてある。 えっこれ7円、ゼロが足りないんじゃないのってお父さんに言ったんですけど7円からのスタート
冬の間、牛に食べさせるエサを作るためのサイロ詰めは真夏の暑い時期に家族総出で行われます。刻んだ干し草をサイロに入れますが誰かが中に入って、落ちてくる草を平らにならさなければなりません。この日はお母さんが入っていました。こんなつらい仕事の時も登志子さんは感謝と笑顔を絶やしませんでした。
登志子さん
そうですねそれでももううれしいです上で自分はいなくてもみんなしてやっていてくれるので本当にうれしいですよ
2000年11月19日 日曜日 眼がちゃんと開いているよホントだ
吉塚家の末っ子 7番目の五男壮太くんです。登志子さんはこの時43歳。長女の同級生と病室が一緒だったそうです。
登志子さん
物はあげればなくなっちゃうけど優しい心はあげればあげるほど増えるんだよ自分もうれしい気持ちになるんだってそういう気持ちで誰とでも接してほしいなって
登志子さんがどこかに走っていきます。後を追いかけてみると・・・少し成長した壮太くんが興奮していました。
壮太くんと登志子さん
生まれたって感じだよねすごいねーあーっかっこいい
刈った草をそのまままとめてラッピングしてサイロ詰めの作業を省く機械。よその農家ではとっくに導入していましたが吉塚農場ではこの時初めて使ってみました。
1979年7月にお見合いをしてから結婚するまでのわずか4か月間。この間に公雄さんと登志子さんは200通近いラブレターを交わしていました。
みんな 映像結婚写真わっははっはっははは
登志子さん 寝ろー寝ろー
ラブレター読む登志子さん
私は公雄さんの明るい笑顔が大好きです何ひとつ心配しないで感謝の気持ちだけで生活していらっしゃる公雄さんの心の広さに私は驚きました私は3日間公雄さんの生活を見て見せていただきありがたいという感謝の気持ちがいかに必要かということがよくわかりました私も公雄さんのように心の広い大きな人間になれるよう自分を磨いていきます
この時 結婚して30年。苦しい生活の中でも笑顔を忘れない生活でした。子どもたちが秋田への夫婦水入らずの旅をプレゼントしてくれました。結婚して二人で旅をするのは初めてのことでした。しかし年月を重ねるごとに登志子さんに異変が訪れます。極度のうつ状態に襲われました。やむを得ず盛岡に住む二女・令子さん一家の元に身を寄せ回復を待ちました。
その頃、登志子さんのノートには自分を責める言葉が連なっていました。
登志子さん
誰かひとりはついていなければダメな状態になっちゃったんで牛舎でも牛舎は手伝っていたんだけどしまいには(搾乳を)終わった牛を拭いたりとかどの牛を拭いたらいいのかわからなくなって手伝えなくなってやたらヘクサムシ(カメムシ)が歩いている自分の友達みたいな感じでいっぱいいるなと思っていっぱい集まっているでもやっぱり常に家族ですよね家族だったりお客さんが来たのかな虫が自分の友達家族みたいに感じた?7人いれば子どもだと思ったし9人いれば家族
それから半年。大分体調も良くなったので私に会いたいと登志子さんは言ってくれました。二女・令子さん一家と食事をしていました。夫の拓哉さんは、登志子さんを受け入れてくれていつまでいても良いとまで言ってくれました。一時はほとんど食事ができなかった登志子さんですが、このころになると食欲もかなり回復していました。
令子さん
母なのでねやっぱり本人が一番苦しんでいるだろうというのもわかったんで救いたいというのがあってそれでああいう行動に出たかなと思いますしもちろんそれには主人の協力だったり主人の親の協力がなきゃできなかったんでそこはずっと受け入れてくれていつも協力してくれるのでありがたいんですけどそれが無きゃできなかったそこに感謝していますし今でも時々盛岡においでって言って うちに来ていますけど
登志子さん
嫁の母親なのにずっと受け入れてくれた拓哉くん本当にありがたい長い年月でもいいよって全部受け入れてくれたというのが本当にありがたいそのおかげでここまで来れたなってお父さんと離れてみてやっぱりお父さんのことが好きなんだなってすごいなって本当に自分自身(思いました)
5月、田野畑村の吉塚農場を訪ねました。登志子さんは、元気になって夫・公雄さんや長男・公太郎さんと乳しぼりをしていました。一時は手順さえ忘れてしまった登志子さん。家族への感謝の思いを胸に以前のような日々を取り戻しています。