青葉被告の“心の闇” 凶行はなぜ起きた?【連載:京アニ事件ー傍聴席からの考察ー第1回】
「こんなにたくさんの人が亡くなると思わなかった」36人の命を奪った男が初めて公の場で事件について語り始めた。2019年に起きた京都アニメーション放火殺人事件。9月5日から京都地裁で青葉真司被告(45)の裁判が始まった。ここまで6日間審理があり、そのうち4日間にわたり、弁護側による被告人質問が行なわれた。
青葉被告は、自身の生い立ちや犯行に至ったきっかけなど、事件の核心に迫る話を隠す様子もなく、むしろ全てを明かしたいという意思があるかのように次々と語っていった。
読売テレビ報道局では、京都支局の3人の記者を中心として全ての審理を取材。連載記事を通して、この事件が社会に問いかけたものを考察する。初回は、青葉被告の内面、事件を起こすに至った心の闇に迫った。(報告:尾木水紀 阿部頼我 藤枝望音)
■幼少期の家庭崩壊
1978年、青葉被告は埼玉県浦和市で生まれ、両親と2つ上の兄、1つ下の妹と5人で暮らしていた。幼少期の青葉被告について母は「かわいらしくて元気で活発。手のかかる子どもではなかった」と語る。
生活が一変したのは、小学3年生の頃。母が仕事をはじめると、父が、「浮気をしているのではないか」と勘繰るようになった。次第に父は母に暴力をふるうようになるなど、関係が悪化し両親は離婚した。
子ども3人は、父に引き取られ“厳しいしつけ”が始まる。
青葉被告
「長時間正座をさせられたり、ほうきの柄でさんざん叩かれたりしていました」
夜はいくら眠くても寝かせてもらえず、冬には外で裸で立たされ、水を掛けられることもあった。妹も虐待を受けていた事実を知った青葉被告は憤慨し、兄とともに父を問い詰めるなど、正義感の強い一面ものぞかせた。
中学生になり体格が父に勝るようになると、父からの暴力はなくなった。しかし、当時打ち込んでいた柔道の大会で準優勝した時に、記念の盾を燃やさせられるなど、「父からの理不尽な支配」を感じていたと語る。
父は、青葉被告が中学1年生の時に無職となり、家庭は貧困に陥る。アパートの家賃すら払えなくなり、引っ越しを余儀なくされ、青葉被告は、転校先の学校で周りに馴染めず不登校になった。
”不遇な”幼少期、青年期について、淡々と、どこか他人事のような口調で答えるのが印象的だった。
■一転、“順風満帆”な高校生活
父からの虐待に悩まされた10代だったが、定時制高校に進んだ青葉被告は、真面目に勉学に取り組み、皆勤で卒業した。
弁護人
「中学生の時は不登校の時もありましたが、なぜ頑張れたのですか」
青葉被告
「真面目にやる人がクラスに10人ほどしかいなかったんですよね。要するに先生を1人占めにできるんです。家庭教師みたいに何でも質問できる」
アルバイトで貯めたお金で、楽器やバイクを買い、学校では一緒にゲーム楽しむ友人ができた。
人間関係に恵まれ、青葉被告の人生の中では、“最も充実した時期”だった。
■犯罪者への転落
定時制高校を卒業後、青葉被告は東京にある音楽の専門学校に入学したが、わずか半年足らずで退学している。
弁護側
「どうして専門学校を辞めたのですか」
青葉被告
「先生は教えてほしいことを『まだ早い』と言って教えてくれなかったんです」
定時制高校では、質問をすれば丁寧に教えてくれる先生がいたが、専門学校では先生が質問に答えてくれないことに嫌悪感を示す。
退学後は8年間、コンビニでのバイトを転々としたが、青葉被告いわく職場の同僚に裏切られ、仕事をしない店長に手を焼き、「とにかく全部嫌になった」と、一度目の犯罪を起こす。窃盗と暴行の罪で執行猶予付きの有罪判決を受けた。
社会に出た後の人生について語る青葉被告の言葉からは、「うまくいかない理由は自分ではなく他の人にあると思い込む性質」が垣間見えた。
検察は、「他責性・自己愛が強い性格」と指摘し、犯行を引き起こした青葉被告のパーソナリティだと主張している。
■リーマンショックを予言?深まる“妄想”
出所後、派遣社員として工場を転々とするも、その後無職となった。
弁護側
「仕事を辞めた理由を教えてください」
青葉被告
「派遣切りがくるのが分かっていたからです」
弁護側
「どうしてわかったのですか」
青葉被告
「主に4つほど理由があります。1つ目はリーマンショックが来ると分かっていたからです」
このほか、日本が発行した40兆円の国債の返済期限が迫っていることから、経済が危機的状態にあると思ったからなどと説明した。
当時の与謝野経済財政相に財政破綻を回避するよう進言するメールを送った結果、日本は財政破綻を免れたなどと、独自の論を展開していく。
質問に対し、饒舌に、時には身振り手振りを加えて熱のこもった話し方をしていた。
取材した記者は「内容のほとんどは絵空事」と感じたが、青葉被告本人だけはそれが事実であり、疑いようのない出来事であると信じているように見受けられた。
この時期以降、このような「妄想」と受け取れる出来事について、数多く語るようになっていった。
■インターネットの中の世界へ
社会から孤立を深めていった青葉被告は、インターネットの世界にのめり込んでいた。
青葉被告
「私は2ちゃんねるで荒らしをしていて有名だったが、一度管理人に直々に怒られたことがあります」
社会の中で孤立を深めた青葉被告は、10年にわたって、インターネットの掲示板に書き込みを続けていたという。インターネットや掲示板について語る青葉被告は、どこか得意げな様子が感じられた。
そして同じ時期、京アニのアニメを初めて見て感銘を受け、小説家を志すようになる。
青葉被告
「実力さえあれば暮らしている何か、小説に全力を込めれば暮らしていけるのではと思いました」
青葉被告の話では、インターネットの掲示板で、京アニの女性監督と出会い、掲示板でのやり取りを重ねるうちに恋愛感情を抱くようになった。
一方で、自分が書いた小説が、まだ公表していないにも関わらず、何らかの形で情報が抜き取られ、「パクられた」とも語った。
しかし、女性監督に過去の犯罪歴を指摘されるなど、「裏切られた」と話す。やがて自暴自棄に陥り小説を書くのを辞めてしまうと、刑務所に入るためコンビニ強盗を実行。懲役3年6月の実刑判決を言い渡された。
■刑務所内でも膨らむ“妄想” 募る京アニへの恨み
刑務所で服役中、妄想現実の境目が失われていく。
警察の上層部とも繋がる「ナンバー2」と呼ばれる闇の人物が、四六時中、自分を監視、刑務所と手を組んで自分に嫌がらせをしてきたと語った。例えば、女性監督との関係を忘れさせないため、女性監督の苗字や「結婚」という言葉を、テレビ番組やCMなどを通じて伝えてきたと話した。
青葉被告は刑務所の医師から統合失調症との診断を受けている。
出所後は、半年ほど、埼玉県内の更生保護施設に入所。その後、再び、小説を書き始めた。
2017年には、短編と長編の2本を京アニ主催の賞に応募した。理由については、「(女性監督に)託すつもりだった」などと話している。しかし、結果は落選。裏切られたと感じ、恨みを募らせていく。
青葉被告
「作品を落選させておきながら、(京アニの女性監督が)ブログで自分の作品を公開していました。なんで落選させておきながら使うのかと。裏切られた気分でした」
掲示板に自分の作品を投稿するも、誰にも見てもらえず…同じ時期、自宅アパートでは、騒音に悩まされていたという。
青葉被告
「室外機の音がうるさく、それでも(アパートの)上の階の人がエアコンを付けて寝られず、良いこと何も続かず、人に会うのも嫌になって会わなくなりました」
昼夜逆転し、「堕落した生活に陥った」と話した。
■語られた犯行の動機
人生が思い通りにいかない中、京アニが世間で評価されていく状況を目の当たりにし、不満が高まる。
事件の1か月前には、包丁6本を購入し、埼玉県の大宮駅で無差別殺人を企てていた。
青葉被告
「作品をパクった対象が、そこまでの事件を起こしたとなれば、パクったりしたこと自体が害になったということを伝えられるのではないかと思った」
そして、2019年7月18日。36人が犠牲となる凶行へ…
犯行に及んだ理由については、「闇の人物」の名を再び上げ、小説を落選させたのも盗作したのもすべて闇の人物が京アニに指示したためだと確信していたと話す。嫌がらせから逃れるため「闇の人物に対して、こういうレベルのこと(京アニへの放火事件)を起こして(自分を)狙うのをやめてほしいというメッセージ」を伝えるほかなかったと説明している。
■ここまでの裁判の取材を終えて
青葉被告が犯した過ちの大きさは言うまでもないが、「どこかで犯行を止めることが出来たのではないか」ということを考察する必要があると感じる。
青葉被告は2回目の服役中に、医師から統合失調症の診断を受けていて、社会復帰が容易ではないことなどから、服役後も半年間、更生保護施設に入居していた。
施設を出た後も、生活保護や訪問看護などの支援を受けるなど、社会のセーフティネットの網にかかっていたにも関わらず、最悪の事態を防げなかったのだ。
京アニ放火殺人事件の2年後に起き、26人が亡くなった北新地ビル放火殺人事件においても、死亡した容疑者の男(61)は、社会的な孤立の末、犯行を図ったとみられていて、青葉被告との共通点は少なくないと感じる。
自分の大切な人が、突然見知らぬ人に命を奪われるー。悲劇が繰り返されることがないよう、見直さなければいけない課題は何なのか。
帰る場所がない受刑者を、出所後、適切な福祉サービスに結び付ける“特別調整”制度の検証など、今後の連載では、様々な視点から今回の事件の本質的な問題について考えを深めていきたい。