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城西大・久保出雄太と櫛部監督の絆“自分はこの中で走っていいのかな”勇気づけた一本の電話 同好会から箱根ランナーへ駆け上がった努力の4年生

2024年12月28日 18:00
城西大・久保出雄太と櫛部監督の絆“自分はこの中で走っていいのかな”勇気づけた一本の電話 同好会から箱根ランナーへ駆け上がった努力の4年生
城西大学の久保出雄太選手と櫛部静二監督
前回の第100回箱根駅伝を大学史上最高の3位でフィニッシュした城西大学。「監督がいなかったら今の自分は本当にないので」と語るのは、4年生の久保出雄太選手です。同好会からのスタートながら箱根駅伝を諦めることなく目指せた背景には、いつも見守ってくれる恩師・櫛部静二監督の存在がありました。

■サッカー少年から陸上選手へ 城西大学を志したのは、まさかの「赤色が好きだった」

石川県加賀市出身の久保出選手は、2歳上の兄の影響で、小学生の頃からサッカーに夢中。中学も高校もサッカー部に入りますが、高校2年生の時に転機が訪れました。

校内のマラソン大会で優勝し、誘いを受けて陸上部に転部。走ることに楽しさを見いだし、新たな夢を思い描くようになりました。

「コロナで大会がなくなって、まだ陸上を続けたいと考えて、だったら“箱根駅伝”に出たい」

箱根出場を見据えて、ひそかに気になっていた大学がありました。「自分は赤色が好きなので、箱根駅伝の出場校の中でユニホームを見た時に一番輝いていたのが城西大学」と、決め手はユニホームだったそうです。

■同好会からスタートも「わざと監督の前を通って...」地道な努力で念願の入部へ

城西大学に入学しましたが、誰でも駅伝部に入れるものではありませんでした。

高校時代に目立った実績がなく、5000mのタイムも入部条件に届かず。それでも久保出選手は諦めませんでした。

まずは、陸上競技同好会に入り、鍛練を重ねます。練習に励むだけではなく、男子駅伝部・櫛部監督の授業を取り、監督とコミュニケーションを取ることに努めました。

「ジョギングの日でもわざと監督の前を通って“こんにちは~”、“僕走っていますよ”、みたいな(笑)そういうのはちょくちょく増やしていましたね」

そんな地道な努力が櫛部監督の目にとまり、久保出選手は1年生の秋から、駅伝部の練習に参加。すると12月に5000mで自己ベストを高校時代から30秒近くタイムを縮めました。翌2022年の4月、2年生への進級とともに、駅伝部に正式入部が認められました。

「こんなに努力して、チームに入れてほしいという熱量がすごい」と櫛部監督。「私もそうですが駅伝部の選手たちも感じていましたので、そういった選手の存在はチームとしてもおおいに刺激となる。そういった意味で入部させたというのもあります」と、思いを語りました。

■“自分はこの中で走っていいのかな”箱根直前にふるさとを襲った大地震 勇気づけた一本の電話

ぐんぐんと力をつけた久保出選手は、入部から1年後の2年時10月には箱根駅伝の予選会に出場。3年時には第100回の記念大会ではメンバー入りを果たし、復路6区にエントリーされます。憧れの赤いユニホームで、夢の舞台を駆けるその時が近づいていました。

しかし、予期せぬ事態に、久保出選手の心は不安に覆われます。2024年1月1日、能登半島地震。368人のエントリーの中で唯一の石川県出身だった久保出選手のふるさとを震度7の地震が襲ったのです。

「自分は宿舎にいたのですが、すごい揺れたなって思っていたらまさか石川県。自分はこの中で走っていいのかな」

それでも1月3日、復路のスタート地点である芦ノ湖には久保出選手の姿がありました。不安を取り除いてくれたのは、櫛部監督からの一本の電話だったといいます。

「『久保出、家族大丈夫か?』って。でも家族は自分の応援に来ているので無事ですと。じゃあ『石川県をお前の走りで盛り上げるしかねぇじゃん』と言ってくれました。箱根駅伝を走るのに、この城西でやっとかなえられた夢なのに、俺は何マイナスなこと考えてるんだ。走るからには城西を盛り上げるのはもちろんだし、石川県のみんなを盛り上げようというふうに思った」

今の自分にできるのは走ること。その姿でふるさとに元気を届ける。自分の夢とふるさとへの思いを胸に走った初の箱根路は、ちょっぴりほろ苦い区間13位。迎えてくれた祖母からは「雄太、よう頑張った。つらかったやろ」と言われ、「キツかった」と。それでも笑顔で仲間と健闘をたたえあいました。

■“チームに欠かせない存在”へ 「大好き」な監督のため走る最後の箱根

「監督に恩返しするには区間賞しかないと思っているので、来年は絶対に区間賞を取りたいと思います」

さらなる躍進を誓った今シーズンは、出雲駅伝でアンカーの6区を任され区間9位。全日本学生駅伝では終盤の7区を区間11位で走り、主要区間を託される存在へ。またムードメーカーとしてもチームに不可欠な存在となっています。

櫛部監督は「努力と、もともとの潜在的な能力。そういったものが合わさって今があるのかなと思います。非常に周りから好かれている印象を持っていますし、私自身も彼のことが好きですから」と高く評価。

久保出選手は「関わってきてくれた人たちみんなに感謝しているのですが、やっぱりその中でも監督に一番感謝していますね。監督、大好きなんで」と笑顔がはじけました。

集大成となる最後の箱根でも、櫛部監督への感謝を胸に最高の走りを見せてくれるにちがいありません。

最終更新日:2024年12月28日 18:00