【特集】“音のないピッチで” W杯準優勝!デフサッカー日本代表・松元選手が伝えたいこと
難聴の選手たちがプレーするデフサッカーのワールドカップで、10月、日本代表が準優勝の快挙を達成したことをめんたいワイドでお伝えしました。その代表キャプテンは福岡出身です。耳に補聴器をつけた難聴のアスリートが伝えたいこととは何なのでしょうか。
100人を超える参加者に迎えられ講演会の会場に入ってきたのは、難聴の選手たちがプレーするデフサッカー日本代表の松元卓巳選手(34)です。首にかけているのは、“銀メダル”です。
ことし9月にマレーシアで開幕し、10月まで熱戦が繰り広げられた『デフサッカーワールドカップ』です。
福岡出身の松元選手は、日本代表のキャプテンとしてチームを史上初の準優勝に導き、優秀ゴールキーパー賞も受賞しました。
なかなか接する機会のないメダリストの話に、講演会に参加した子どもたちも真剣に聞き入ります。
■松元卓巳選手(34)
「そもそもサッカーとデフサッカーの違いは何なのっていうところなんですけど、デフサッカーはみなさんがご存知のサッカーとルールは全く一緒です。」
グラウンドの広さ、競技人数、試合時間など、ルールは通常のサッカーと同じです。
ただ、デフサッカーの場合、耳の障害の程度による不公平さをなくすために、選手全員、補聴器を外してプレーします。
そのため、ピッチ上はほとんど無音です。『音のないサッカー』とも言われています。
松元選手は合宿や試合、さらには講演で全国各地を飛び回ります。
多忙な代表キャプテンに密着すると、何気ない日常の中に、難聴の人たちが抱える苦労が見えてきました。
■アナウンス
「お客様のお呼び出しを申し上げます。」
■松元選手
「(Q.これは聞こえる?)分からない。何か流れている?羽田空港で(乗り場が)第1ターミナルから第2ターミナルに変わったんです。やば!みたいな。移動のバスに乗ってギリギリ間に合った。」
アナウンスなど音での情報は聞き取りが難しく、難聴の人にとっては目で見て分かる文字が頼りです。
松元選手は生まれつき重度の難聴で、補聴器をつけたのは3歳のときでした。
■松元選手の母・松元のり子さん
「卓巳の3歳児検診の前くらいに、『言葉が少ないから聞こえていないかも』って言われて、調べたらそうだった。」
■松元選手の父・松元伸暁さん
「難聴という言葉自体が分かっていなかったので、『聞こえていない』と言われたときは、がく然とした。ショックだった。」
両親は聞こえにくい難聴と、初めて出会いました。息子の大きな課題は『言葉』を学ぶことでした。
■母・のり子さん
「テレビだったら『てれび』とひらがなで書いて、これはテレビ(と教える)。周りの景色も全部言葉にしないといけない。体感させて言葉を覚えて、その状況もわかるようにしていく。」
幼い頃から両親と一緒に努力を重ねた松元選手は、小学3年のとき、地元・福岡県宇美町のクラブでサッカーを始めました。
その後、強豪・鹿児島実業高校に進学し、デフサッカー日本代表に選出されたのは、高校2年のときでした。
松元選手には、難聴のアスリートだからこそ伝えたいことがあります。
■松元選手
「耳が聞こえないことでどんなことに困るんだろう。何ができないんだろうと考えてもらいたい。」
■参加した子ども
「アナウンスが聞こえにくい。」
■松元選手
「素晴らしい!そうなんです。アナウンスが聞こえません。補聴器や人工内耳をつけたから健聴者と同じ聴力レベルではないことを知ってもらいたい。」
難聴の人たちが抱える悩みや思いを理解してくれる人を1人ずつ増やしていく地道な活動です。
■参加した児童
「これからみんながデフサッカーを知ることができたらいい。」
■参加した保護者
「知らない世界を知って、自分に何ができるか考えさせられる時間だった。」
■松元選手
「たくさんの人に来てもらって結果を出すことによって、景色が変わるなと実感している。人によって得意なことや苦手なことがあるから、それをポジティブに捉えて、いろんな人に伝えて知ってもらえたらいい。」
FBSではデフサッカー日本代表を取り巻く環境や、福岡出身の代表キャプテン・松元卓巳選手の挑戦を追ったドキュメンタリー番組を制作しました。目撃者f『音のないピッチで夢を描く』は26日(日)深夜放送です。