「原爆の子の像」禎子さんが病室で折った鶴か 「戦後80年の節目に奇跡」兄の思い
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写真提供:NPO法人サダコレガシー
佐々木禎子さんは2歳の時に広島で被爆し、その10年後、突然白血病を発症しました。「病気を治して家に帰りたい」との願いを込めて病室で千羽鶴を折り続けましたが、12歳で短い生涯を終えました。
禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰めようとつくられたのが、広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」です。
今回見つかった折り鶴は、禎子さんの兄で福岡県那珂川市に住む佐々木雅弘さんが2024年末、仏壇の整理をした際、父親の遺品が入った袋の中から見つけたということです。
くちばしはふやけ、薄い黄土色に変色した小さな折り鶴。
おなかと背中の部分に穴が空いていて、雅弘さんは「大きさから見ても、妹が病室で折って、天井からつるしていた千羽鶴で間違いないだろう」と話しました。
そして、「妹が折った鶴は家に残っていないと思っていた。戦後80年の節目のタイミングで出てきてくれたのは、奇跡としか言いようがない」と喜びをあらわにしました。
「妹が『もういっちょあるよ』と言ってくれたような気がする」
雅弘さんは「妹が折った鶴が、日本だけでなく世界の心を一つにするツールになってほしい」と、核なき世界への思いを新たにしていました。
禎子さんの死をきっかけに、原爆で亡くなった子どもたちの霊を慰めようとつくられたのが、広島の平和記念公園にある「原爆の子の像」です。
今回見つかった折り鶴は、禎子さんの兄で福岡県那珂川市に住む佐々木雅弘さんが2024年末、仏壇の整理をした際、父親の遺品が入った袋の中から見つけたということです。
くちばしはふやけ、薄い黄土色に変色した小さな折り鶴。
おなかと背中の部分に穴が空いていて、雅弘さんは「大きさから見ても、妹が病室で折って、天井からつるしていた千羽鶴で間違いないだろう」と話しました。
そして、「妹が折った鶴は家に残っていないと思っていた。戦後80年の節目のタイミングで出てきてくれたのは、奇跡としか言いようがない」と喜びをあらわにしました。
「妹が『もういっちょあるよ』と言ってくれたような気がする」
雅弘さんは「妹が折った鶴が、日本だけでなく世界の心を一つにするツールになってほしい」と、核なき世界への思いを新たにしていました。
最終更新日:2025年2月22日 23:29