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【戦後80年】「殺さないでくれ」銃を突きつけられたかつての少年 52枚の絵とともに語る旧満州での記憶

2025年1月26日 7:43
【戦後80年】「殺さないでくれ」銃を突きつけられたかつての少年 52枚の絵とともに語る旧満州での記憶
戦後80年となることし、「いま伝えたい、私の戦争」と題して、いまを戦前にさせないためのメッセージを届けます。終戦後、福岡市の博多港には「外地」と呼ばれていたアジア太平洋地域から、およそ139万人の日本人が引き揚げてきたことをご存じでしょうか。そのうちの1人だった15歳の少年は、日本の敗戦で「死」を眼前に突きつけられることになりました。

■山本好昭さん(94)
「いま話していることは遺言です。 若い人への遺言。」

こう力を込めて語り出したのは、北九州市八幡西区の山本好昭さん(94)です。同い年の妻、寿美子さんとは、父親同士が職場の同僚だった幼なじみです。

■好昭さん
「焼き方はコツがある。できた。」

2人はこの日、手作りのギョーザで記者をもてなしてくれました。

■好昭さん
「どう?」
■児玉悠一朗記者
「もちもちです、皮が。」
■好昭さん
「ギョーザは皮が大事、中身よりもね。」
■寿美子さん
「中国人はお正月になると黒豚1頭を殺すんですよ。その豚肉で、日本が餅を作るように中国はギョーザを作る。お正月用のギョーザを作る。」

好昭さんと寿美子さんはそれぞれ終戦後、祖国の日本に引き揚げるまで、現在の中国東北部・旧満州で子ども時代を過ごしました。

旧満州や朝鮮半島など、戦時中に日本が進出し“外地”と呼ばれたアジア太平洋地域には、終戦の時点でおよそ660万人の日本人がいたとされています。

好昭さんは旧満州の鉄道会社に就職した父親について、5歳で海を渡ったといいます。

■好昭さん
「(終戦前は)いい生活でした。」
■寿美子さん
「奉天(現在の瀋陽市)のデパートに行ったらエスカレーターがあったんです。(日本とは)それくらいの差があった。だからみんな行ったんです、満州に。行ってひと稼ぎして、お金をうんともらって帰ってきて、ふるさとに立派な家を建てて老後を暮らそうと。」

しかし、終戦の直前、「外地」にいた日本人の生活は一変します。

■好昭さん
「ソ連軍が1945年8月9日、長崎に原爆が落ちた日、同時にバーンと満州に入ってきた。」

日ソ中立条約を破棄したソ連が、多くの日本人がいた旧満州や朝鮮半島北部などに軍を侵攻させたのです。

1日に2度、銃を突きつけられた

■好昭さん
「この本の絵を見てください。」

好昭さんは「15歳の証言」と題した冊子を11年前にまとめました。旧満州などでの記憶を52枚の絵と文章でつづっています。そのきっかけは、大学生だった孫が、かつて日本とアメリカが戦争を行った事実を知らなかったことでした。

■好昭さん
「戦争の悲惨さは僕が実際に見て体験しているから、これは絶対に後世に伝えなくてはならないというのは、私の使命でした。」

ある日、好昭さんは学校から自宅に戻る途中、中国人の子どもから爆竹を投げつけられました。

■好昭さん
「天皇陛下の玉音放送があるからすぐ帰れと(学校で言われた)。(投げられた爆竹が)足元で爆発する。怖かったですよ。それで急いで帰って11時半ごろに帰り着いたけど、12時の放送をじっと待っていました。日本は戦争に負けないという信念があった。ところが実際に昭和20年8月15日の正午、天皇陛下がレコード盤を全国、そして満州にまで放送があって、僕は聞きました。何を言っているのかさっぱりわからない。雑音が入る。ただ覚えていることは、任重く、道遠しという言葉。」

中国人から爆竹を投げられたのは、日本が戦争に負けたからだ。そう理解するまでには、しばらく時間がかかりました。

日本の敗戦から、およそ1か月後。ソ連兵たちに銃を突きつけられている2人の日本人のうちの1人は、当時15歳の好昭さんです。

■好昭さん
「ソ連の兵隊が自動小銃を向けて、来いと。ダヴァイと言うんですよ、ダヴァイと。」

日本語で「付いてこい」という意味の「ダヴァイ」と叫びながら、ソ連兵たちは略奪を手伝うよう脅してきました。好昭さんは、ソ連兵たちが中国人の民家から奪った現金や酒、まんじゅうなどを、リュックに詰めて持たされたといいます。帰り道に中国の兵士に出くわし、またしても銃を向けられました。

■好昭さん
「おまえ誰か?と言うわけ。私は日本人だと正直に答えた。そうしたら、泥棒したんだろう、殺すと言う。だからすぐ銃口を押さえて、助けてくれと。僕は泥棒をしたんじゃないと。お父さんとお母さんが待っている、殺さないでくれと。」

ソ連兵に脅されて従っただけだと知っている限りの中国語で必死に訴えると、最終的に見逃され、生き延びることができました。

■好昭さん
「人間が死線を越えたら、どうにでもなれという気持ちになる。その前にそういう教育を受けているわけでしょう。天皇陛下のために死ぬ。」

終戦から10か月余りでようやく引き揚げ船に

終戦から10か月余りがたち、家族とともに引き揚げ船に乗ることができた好昭さんは、博多港から祖国の地を踏みました。

■好昭さん
「日本は戦争に負けるでしょう。外地にいた日本人は、日本にいた日本人よりも違った意味の敗戦国の国民の惨めさを味わっている。あなたたちは、日本の将来を考えるためには悲惨な戦争を絶対にしてはいけない。あなたたちの子どもを戦場に絶対送らない。戦場に送ってはいけない。戦場に送ったら、こんなにひどいことになる。」

日本が始めた戦争が日本人をも苦しめた現実。その苦難を味わったかつての少年が、強く訴えかけてきます。

※FBS福岡放送めんたいワイド2025年1月22日午後5時すぎ放送

最終更新日:2025年1月26日 8:15
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