【パリ五輪】北九州市出身の早田ひな選手が銅メダル 旦過市場から恩返しの声援 サウスポーを見出した恩師も見守る 福岡
卓球・女子シングルス3位決定戦に臨んだ、北九州市出身の早田ひな選手。北九州市小倉北区の映画館、小倉昭和館では初めてとなる、パブリックビューイングが開かれました。
■女の子
「メダル取ってほしいです。」
■ぬかだき 橘屋・橘杏子さん
「旦過市場で働いていて、火災の時に応援してもらったので、その恩返しという形で応援に来ました。」
2年前、旦過市場一帯を襲った火災からおよそ1か月後がたったころ。まだ、がれきが残る中、早田選手の姿がありました。
■北九州市出身・早田ひな選手
「おばあちゃんが旦過市場でぬかみそ炊きをよく買ってくれていたので、それが食卓が出るのが日課だった。」
高校生まで北九州市で過ごし、旦過市場にもなじみ深かった早田選手は、直前の大会で獲得した賞金100万円を復興を願って寄付しました。
■早田選手
「旦過地区の皆さんに勇気が与えられるように、今後も頑張っていけたらと強く思いました。」
早田選手の思いに、商店街からの感謝を込めて。メダルをかけた戦いに、恩返しのエールを送りました。
■旦過市場のぬか炊き店ぬかだき 橘屋・橘杏子さん
「私たちの夢なので、こうやって地元を盛り上げてくれることはすごくうれしいです。頑張ってほしいです。」
福岡県中間市の母校、希望が丘高校には、通っていた卓球クラブの指導者や後輩が集まりました。
■子どもたち
「頑張れ、ひなちゃん!」
この日の早田選手、ラケットを持つ側の左腕は準々決勝で負傷し痛々しくテーピングされていました。
早田選手が卓球を始めたのは4歳のころです。当時は左手ではなく、右手でラケットを握っていたと話すのは早田選手の恩師、石田コーチです。
■石田卓球N+(エヌプラス)・石田千栄子コーチ(71)
「なかなかフォームが決まらないのでね、安定しないので。家族に左利きはいますかって確認したら、お父さんが左だったの。それで左で始めるようにしたら、フォームがすぐきれいにできるようになった。」
利き腕を見出した石田コーチは、早田選手の持ち味について。
■石田コーチ
「相手のパワーをパワーで返すっていう、フォアドライブが一番の持ち味です。それが出ればいいですけど。」
土壇場で3連続ポイントを奪い、第2ゲームを取り返します。流れに乗った早田は第4ゲーム。幼少期から磨いてきた「フォアドライブ」で、銅メダルまであと1ゲームです。
そして。初めてのオリンピックで、苦しんだ先に、銅メダルをつかみ取りました。
■旦過市場のぬか炊き店 ぬかだき 橘屋・橘杏子さん
「調子が上がっていくのがわかったので、すごく感動しました。私たちも頑張らないといけないなと思いました。」
■石田卓球N+・石田千栄子コーチ
「いろんな方に支えてもらって、この20年間やってきて、これが銅メダルにつながったっていうのは、本当に幸せな人生ですね。」
■早田ひな選手
「もちろん、金メダルを目指していたが、まさか神様にこんなタイミングで(左腕を痛める)意地悪されるとは思わなくて。どんな結果になっても、最後までやり続ける。銅メダルを皆さんに見せられたらいいなという気持ちで戦いました。」