×

「見殺しにしてしまった」「たまたま助かった」…津波恐れず家に留まった2人の男性たちの後悔の13年

2024年3月10日 3:00
「見殺しにしてしまった」「たまたま助かった」…津波恐れず家に留まった2人の男性たちの後悔の13年
2011年3月11日に撮影された、わずか46秒の映像には津波の脅威を示す衝撃的な瞬間が捉えられていた。自宅の1階にすら到達しないと思われた波は一瞬で2階に迫ってくるほどせり上がってきた。津波に飲み込まれる直前の光景だ。映像を見て恐怖を覚えない人はいないだろう。撮影したのは当時、高等専門学校の生徒だった。「たまたま命が助かった」と語り、避難の大切さを訴えている。ただ、あの時、どう避難すればよかったのか…。悩み続ける男性もいる。目の前で知人を置き去りにし、死なせてしまった。「あの時のあの目の色が…」。悲しみと後悔を胸に、あの日のことを語ってくれた。

【「俺は逃げねえ」祖母に言われ、避難せず】

福島県の沿岸にあるいわき市豊間地区は、遠浅の海岸が広がり、大きな波が来ることから一年を通してサーファーで賑わう場所だった。海岸の目と鼻の先にある2階建ての家で暮らしていた小野陽洋さん(33)は当時、地元の高等専門学校に通う5年生で、1週間後に卒業式を控えていた。2011年3月11日は謝恩会が開かれる予定で、同級生や先生と会うのを楽しみに、自宅で祖母のキクイさん(当時79)と二人で過ごしていたという。午後2時46分、リビングでくつろいでいると突然、震度6弱の激しい揺れに襲われる。

「一回立ち上がったら立っていられなくて、床にしゃがみ込む感じだった」。

テレビが倒れないよう必死になって抑えた。揺れが収まると、テレビは福島県に大津波警報が出されたと速報していた。小野さんは危機感を感じ、祖母のキクイさんに、こう呼びかけた。

「ばあちゃん!これ津波来るから逃げっぺ!」

しかし、キクイさんは「俺は逃げねえ」の一点張りだった。豊間で生まれ育ったキクイさんは、1933年に発生した昭和三陸地震の津波のことを覚えていた。「津波が来ても防潮堤を軽く越えたくらいだったから大丈夫だ」と小野さんに説明したという。小野さんの自宅前には6.2メートルの防潮堤があった。小野さんは「海も見えるので、変化があったら逃げればいい」と、キクイさんと家に留まることにした。また、キクイさんは腰が曲がっていて、歩くのも辛い状況だったことも、避難を見送った理由だ。2人は念のため、2階に上がり過ごすことにした。
おすすめ