「見殺しにしてしまった」「たまたま助かった」…津波恐れず家に留まった2人の男性たちの後悔の13年
【「俺は逃げねえ」祖母に言われ、避難せず】
福島県の沿岸にあるいわき市豊間地区は、遠浅の海岸が広がり、大きな波が来ることから一年を通してサーファーで賑わう場所だった。海岸の目と鼻の先にある2階建ての家で暮らしていた小野陽洋さん(33)は当時、地元の高等専門学校に通う5年生で、1週間後に卒業式を控えていた。2011年3月11日は謝恩会が開かれる予定で、同級生や先生と会うのを楽しみに、自宅で祖母のキクイさん(当時79)と二人で過ごしていたという。午後2時46分、リビングでくつろいでいると突然、震度6弱の激しい揺れに襲われる。
「一回立ち上がったら立っていられなくて、床にしゃがみ込む感じだった」。
テレビが倒れないよう必死になって抑えた。揺れが収まると、テレビは福島県に大津波警報が出されたと速報していた。小野さんは危機感を感じ、祖母のキクイさんに、こう呼びかけた。
「ばあちゃん!これ津波来るから逃げっぺ!」
しかし、キクイさんは「俺は逃げねえ」の一点張りだった。豊間で生まれ育ったキクイさんは、1933年に発生した昭和三陸地震の津波のことを覚えていた。「津波が来ても防潮堤を軽く越えたくらいだったから大丈夫だ」と小野さんに説明したという。小野さんの自宅前には6.2メートルの防潮堤があった。小野さんは「海も見えるので、変化があったら逃げればいい」と、キクイさんと家に留まることにした。また、キクイさんは腰が曲がっていて、歩くのも辛い状況だったことも、避難を見送った理由だ。2人は念のため、2階に上がり過ごすことにした。
「一回立ち上がったら立っていられなくて、床にしゃがみ込む感じだった」。
テレビが倒れないよう必死になって抑えた。揺れが収まると、テレビは福島県に大津波警報が出されたと速報していた。小野さんは危機感を感じ、祖母のキクイさんに、こう呼びかけた。
「ばあちゃん!これ津波来るから逃げっぺ!」
しかし、キクイさんは「俺は逃げねえ」の一点張りだった。豊間で生まれ育ったキクイさんは、1933年に発生した昭和三陸地震の津波のことを覚えていた。「津波が来ても防潮堤を軽く越えたくらいだったから大丈夫だ」と小野さんに説明したという。小野さんの自宅前には6.2メートルの防潮堤があった。小野さんは「海も見えるので、変化があったら逃げればいい」と、キクイさんと家に留まることにした。また、キクイさんは腰が曲がっていて、歩くのも辛い状況だったことも、避難を見送った理由だ。2人は念のため、2階に上がり過ごすことにした。