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【広島・原爆の日】筆に込めた思い 原爆死没者名簿 35回目の記帳 ことしは病室で筆をとった被爆者

2024年8月6日 19:04
【広島・原爆の日】筆に込めた思い 原爆死没者名簿 35回目の記帳 ことしは病室で筆をとった被爆者

平和記念式典で慰霊碑に納められた原爆死没者名簿に、30年以上にわたって名前を記してきた女性がいます。自身も被爆者で病をかかえながら、筆をとり続ける思いを取材しました。

池亀和子さん、82歳。自宅で静かに書き進めるのは、この1年間で亡くなった被爆者の名前です。34万人あまりの名が記されている原爆死没者名簿には、毎年名前が追加され、慰霊碑に納められています。池亀さんが記帳を担当したのは、2024年で35回目です。

■池亀和子さん
「ここまで書かせてもらったのは、ありがたいことです。私、何もできないし、これがせめての亡くなられた方への供養だと思って。」

池亀さんは、被爆者でもあります。爆心地から1.5キロの広島市西区観音町付近で、3歳の時に被爆しました。

■池亀和子さん
「なすび畑を隠れながら、母が(刺さった)ガラスを取ってくれて、逃げ回ったのを覚えています。」

戦後は、岡山県で過ごしました。そして20歳をすぎたころから、広島市の職員として働きます。書道の腕をかわれ、1985年にはじめて記帳を担当。92年からは33年連続で大役を務めてきました。昼間は市の職員として働き、書くのは夜、自宅に帰ってからです。

■池亀和子さん
「必死で書いてましたね。9時から12時くらいまで。毎日100人ずつくらい書いてましたね。」

■池亀和子さん
「多いとき3300人くらい書いてましたよ。それをずっとつけたのがある。」

毎年、日々記帳した人の数を記録していました。

■池亀和子さん
「祖母も父も母も書きました。亡くなったんだねと思いましたが、母は数えの102歳でした。みなさんにあやかりたいから、長生きさせてくださいと言いながら書くんですね。」

しかし2024年に胃がんが見つかり、記帳を進める時期にも入院を余儀なくされました。それでも、病室で筆をとり続けました。7月半ばに退院し、自宅で記帳を再開。筆に込めるのは、今も戦争が絶えない世界に対する思いです。

■池亀和子さん
「なんで(戦争を)やめられないのかなって思いますよね。こんなに広島でも犠牲者が出ているのに…」

8月5日、池亀さんは平和公園の国際会議場に向かいました。直前に届け出のあった被爆者の名前を、最後に記帳するためです。体調がすぐれない日も多く、名前の一部は、広島市の職員に手伝ってもらいました。

■池亀和子さん
「入院も長かったし、日にちが迫ってくるので、悔しい気持ちでいっぱいでした。なんで書けないんだろうと…」

それでも、1000を超える名前を書き終えました。

■池亀和子さん
「安心いたしました。みなさん成仏してくださいという気持ちで書きました。」

34万4306人。最後にしたためたのは、名簿に記された被爆者の数です。池亀さん、35回目の記帳が終わりました。

【2024年8月6日 放送】