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語り始めた24歳伝承者 亡き被爆者から繋ぐ思い

2024年5月22日 19:53
語り始めた24歳伝承者  亡き被爆者から繋ぐ思い

被爆体験の継承について考えます。体験を語れる人が年々少なくなっている中、この春ひとりの若者が被爆者との別れを乗り越えて記憶を語りはじめました。
フラワーフェスティバルでにぎわう平和公園。その傍らで、初めて被爆体験の「伝承」に臨む若者がいました。井上つぐみさん。広島大学医学部に通う24歳です。2024年4月、被爆者から証言を受け継ぐ「伝承者」に任命されました。

■井上つぐみさん
「川本さんは紙飛行機をつくっていらっしゃって、これはサインをいただいたものでいつも大事に持っているんですけど、きょうは全部持ってきました。初日なのでお守りとして」

語り継ぐのは、今は亡き被爆者「川本省三さん」の体験です。79年前のあの日、川本さんは両親ときょうだい4人を失いました。三次市に疎開していた自身は3日後に広島に戻り被爆。11歳でした。

■川本省三さん
「ここにあるのがね、あの時、一番被害のひどかった人。2キロ離れた地点でね、皆ほんとこういった状態」

家族を失い「原爆孤児」として生き抜いてきた川本さん。子どもや若者に平和の尊さを伝えたいと、幼き日に母親が作ってくれた紙飛行機を手渡してきました。川本さんのもとで伝承者の研修に励んだ井上さん。記憶を受け継ぐと約束していました。

■井上つぐみさん
「2年間川本さんと一緒に過ごしてきて、若者に期待しているというか伝承は託したよという言葉もいただいていて」

その道半ばで川本さんは体調を崩し2022年6月、息を引き取りました。88歳でした。井上さんの研修は一度、打ち切られました。しかし被爆者が高齢化し研修の中止が相次いだことから2023年7月、広島市がルールを変更。被爆者から直接、正確に体験が伝わっていれば、伝承できるようになったのです。井上さんも研修再開の通知を受け取りました。

■井上つぐみさん
「やった~めっちゃうれしいです。(川本さんが亡くなって)あきらめた時期もあったし自分を責めてきて…。これから研修を継続して伝承者として活動できるように再スタートを切って頑張りたいと思います」

本人から話を聞けなくなった井上さんを支えたのは川本さんの伝承者をすでに務める先輩でした。

■先輩伝承者
「川本さんが1945年の4月15日ですよね、こちらに疎開するのにおりた駅って聞いてるので」

ともに川本さんの疎開先だった三次市の寺や学校を訪ね、戦争に巻き込まれた子どもたちの記憶をたどります。先輩たちは川本さんに代わり井上さんの背中を押してくれました。そして2024年4月。井上さんは一度はあきらめかけた伝承者になる夢を5年ごしに叶えました。ついに語り部となる日がやってきました。先輩伝承者も応援にかけつけてくれました。

■先輩伝承者
「川本さんとしては初めて?じゃあどきどきだね」「伝承者として初めてです」

先輩伝承者たちから直前までアドバイスをもらい講話に備えます。そして、川本さんとの約束を果たす時の到来です。

■井上つぐみさん
「食べるものがなく石ころをしゃぶるほど飢えたり、空腹を紛らわすために新聞紙を口に含んだりしている子どもたちを見た」

「原爆孤児」の壮絶な体験を語ります。そして伝えたのは子どもや若者に平和の尊さを訴え続けきた川本さんの姿。

■井上つぐみさん
「私が川本さんから頂いた紙飛行機と折り鶴です。川本さんがつくられた数は25万以上。たくさんの人々に平和への思いを届けてきました」
■京都からの観光客
「(飢えで)石をしゃぶるとかレベルが想像していたよりもはるかに悲惨だった。被爆者の方とよく話をしてその人となりを理解して話しているのは十分伝わった」

伝承に込めた思いは届いていました。喜びの一方で、気がかりなことも。

■井上つぐみさん
「聞いてくださった方が15人ということで、自分的にはとても少ないなと感じて、もっと広く伝えていきたいと思いましたし、そのためにもっとたくさん勉強してどう語り継いでいくか考えながら次回の講話につなげたいと思いました」

あの日からまもなく79年。伝承者は被爆者の遺志を受け継ぎ未来へつなぐためきょうも伝え続けています。

【2024年5月22日 放送】