後輩へ被爆体験の伝承「語りつぐヒロシマ」
全校生徒1033人の県立広島皆実高校。戦時中は県立広島第一高女、通称=第一県女でした。1945年、2年生だった植田䂓子さんと松坂緑さんは2024年7月9日、母校を訪れました。被爆者として後輩に当時の体験を伝承するプロジェクト、「語りつぐヒロシマ」です。植田さんは被爆当時、学徒動員により観音町の広島印刷所で作業をしていました。 爆心地からは1.8キロのところだったといいます。植田さんは「(朝の)点呼をとっている時に原爆が落ちましたピカーっと光ったけど爆風が吹いたかはあまり記憶にない。工場へ駆け戻りお弁当を持って先生と一緒に己斐の山に逃げました」と8月6日を振り返ります。そして、もう一人の被爆者、松坂さんは「後輩のため、死ぬ前に一度は話しておきたい」と、78年間、家族にも話さなかった被爆体験を語り始めました。松坂さんは「高須に親戚の家があるのでそこへ逃げましたすごくしょんぼりとした父が現れて母と弟が亡くなったと言った私は大泣きした大きな2階の家が二人に重なっていて(父が)「これはダメだ」と言ったら(母が)「もうダメなら逃げてください」上の女の子たちがいるからお願いします」と言ったと聞き、その言葉は一生忘れません」と話します。また、昭和天皇の玉音放送を聞いた際には「なぜ天皇陛下はもう少し早くやめてくれなかったのか。そしたら母や弟が亡くならずにすんだのになと一番に思った」と語りました。
皆実高校の2年生、石井舞依香さんは「実際に被爆された方の話を聞くことができるのは私たちの世代までだと思うみんなに聞いてもらう機会をつくりたい」と話す一方、瀧谷篤生さんは「当事者にしかわからない気持ちはあると思うが何とか汲み取って伝えないといけない使命感を抱いた」と話します。2024年で16回目を迎えた「語りつぐヒロシマ」。高校生と段原中学校の生徒が79年前、広島で同年代の子どもたちに起きた悲劇を7月26日、小学生たちに語り継ぎます。
【2024年7月10日 放送】