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知っていますか?夏目漱石が人生の転換期を過ごした熊本との深いつながり

2025年2月10日 19:39
知っていますか?夏目漱石が人生の転換期を過ごした熊本との深いつながり
気になる話題を調べる「県民のギモン」。今回のテーマは「夏目漱石ってどんな人?」です。調査員は中村絵奈さんです。

(中村絵奈さん)
かつて千円札の顔にもなった夏目漱石。熊本ともつながりが深いんです。どんなつがりがあるのか調査しました。

夏目漱石の誕生日の2月9日、漱石が暮らした熊本市中央区内坪井の家では、当時に思いをはせるイベントが行われました。
■夏目漱石内坪井旧居 塩田賢俊館長
「まずは夏目漱石を知ってほしい。それも夏目漱石が熊本で暮らして、漱石が住んだ家が熊本にちゃんと残ってるんだよというのをぜひ知ってほしい」

そもそも、夏目漱石はどんな功績があり、なぜ熊本で暮らしたのか。みなさん、知っていますか?
■30代女性
「お家みたいなものがあって、1回散歩がてらいったことがあります。それで知りました」
■20代男性2人
「千円札のイメージとかですね、前だったっけ?」
「前の前」
「…ぐらいですかね」
■70代女性
「熊大の五高の教授でもあるし、松山の方から来た。『坊っちゃん』を書いたり、『草枕』、『吾輩は猫である』とかね、いろいろ」

みなさんは、漱石と熊本のつながりをご存知ですか?

まずはこちら!
▼ギモン①「どうして、夏目漱石は熊本にいたの?」
(緒方太郎キャスター)
漱石は松山で教鞭をとっていましたが、第五高等学校(現:熊本大学)の教授だった親友に手紙を送り、明治29年、英語教師として熊本に来ました。

熊本にいたのは4年3か月で、その期間に6回も転居。そのうち、5番目に移り住んだ家で、最も長い1年8か月を暮らしたのが内坪井の家です。

教師時代の漱石像について、長年研究する専門家は、こう話していました。
■玉名市草枕交流館 村田由美館長(2016年取材)
「非常に怖い先生で、中にはにこりともしなかったという人もいる。一方でユーモアがあるという人もいる。怖い先生で、次から次に当てて、予習していないと怒られるけれど落第者はいない、甘辛があった先生」

そして、県民の方からは、こんな「ギモン」もありました。
▼ギモン②「五高の先生としかわからない。熊本ではどんな人生を?」

実は、瀬石は人生の転換期を熊本で迎えていました。熊本で結婚をし、父親になったんです。

漱石は熊本生活3年目となった内坪井の家で、長女が誕生します。長女が生まれた時の思いを俳句にのこしていました。それが「安々と海鼠(ナマコ)の如き子を生めり」。少し照れながらも、喜びを詠んでいました。

(中村絵奈さん)
赤ちゃんをナマコと表現するのは、独特の感覚ですね。

(緒方太郎キャスター)
教師生活をしながら、様々な所に足を運び、小説の題材が生まれた4年3か月の熊本時代でした。

最終更新日:2025年2月10日 19:39