石川・輪島市門前町 それぞれの半年 500年の伝統も…公費解体選んだ住職 歩みだす人も
能登半島地震から半年。今もなお、震災の跡は残ったままです。
輪島市門前町。公費解体の作業が始まったのは震災から4か月が経ってからです。かつては商店街が営まれ住民同士の交流が盛んな地域でした。
沢田陶器店 澤田由紀子さん
「これだけが生き残ってた、地震の生き残りないね…次の仕入れはできない。半年たってもまだこんな感じだもんね...駄目だね」
今も、町にあった商店街のほとんどが営業できていません。
門前町は2007年にも大きな地震に見舞われました。
沢田陶器店 澤田由紀子さん
「17年若かったら大丈夫なんだけどね。あの時にくらべたら全然違う。あの時は輪島ここだけだったから」
2007年3月の能登半島地震では輪島市で震度6強を観測。なかでも門前町は最も被害の大きかった場所で町のシンボルである総持寺祖院は大きな被害が出ました。そこから復興に向け14年という月日をかけて復旧工事を行い2021年に「完全復興」を宣言しました。
しかし、わずか3年で再びこの町を地震が襲いました。
總持寺祖院 高島弘成 副監院
「あれだけ苦労して14年間、いろんな人のお力を頂いて長い長い工事をやって、お寺の復興を待って完全復興宣言を出してもらったんですけど、 そこから3年弱でこういうことになってしまって絶望しかなかったですね」
大小合わせて30の建物が被害に遭い、文化財を含む4棟の建物が全壊・倒壊しました。
總持寺祖院 高島弘成 副監院
「これがいわゆる廊下だったんです。完全に倒壊したという建物です。倒壊しても文化財です。倒壊したから瓦礫にはならないんです。勝手に捨てちゃえってことにはならない。慎重に物事を進めていったつもりです」
残された建物の修繕を進めながらもう一度再建への道筋を探っているところです。
總持寺祖院 高島弘成 副監院
「これから復旧第2段階だと思う。復旧はどうしていこうかという所には来ています。復興となるとビジョンや具体像はまだ描けていない状況ですよね」
復旧・修繕に進む寺がある一方で、解体の道を選ばざるを得なかった寺もあります。
創建から500年を超える専徳寺です。地震で本堂が全壊したほか、門徒たちが集まる会館なども被災しました。
専徳寺 吉岡聡 住職
「全額、寺で(費用を)もちながらやらなくてはいけないのかと。門徒さんもすべて被害をうけておられる。出してちょうだいよというわけにもいかない。なんとかしなくちゃいけないのかなと正直本当に困っておりました」
公費解体を5月中旬に申請し解体を前に最後の法要を行いました。公費解体は、周りの住宅の解体が終わってからの着手を希望していて、 その後、本堂再建への目途は立っていません。
門前町が少しずつ歩みだすために自ら動きだす人々もいます。商店街の組合で勤める宮下杏里さん。現在はボランティア団体と協力し町の再出発に向けた活動を行っています。
禅の里交流館 宮下杏里さん
「みんなバラバラになっちゃってコミュニティが崩壊している状況。サロンを開いてみんなが集まる場を作ってみんなが憩いの場所になったり、元気っていうのを確認したり、心のケアを今大事にしている状況」
毎週金曜日今はバラバラの暮らしをしている住民が震災前のような交流ができるようにと「癒やしサロン」が開かれています。住民同士が話をしながら食事をとったり支援物資の配給をうけたりと心のよりどころとなっていました。明るい話題ばかりではありませんが直接会って会話をすることで自然と笑顔が溢れていました。
禅の里交流館 宮下杏里さん
「門前に残りたいっていう方がいっぱいいるっていうのが分かるし、お互いができることで楽しくできるように今後復興にむけてみんなで一緒になって頑張っていきたいと思ってます。みんな無事ってこと分かるししゃべれるってことは一応元気じゃん 」
きょうを考えることで精一杯、それでも動き出さなければと歩んできた半年。今ある現実と向き合いながら着実に進んでいる門前町。今後、仮設商店街が設置され少しずつ町の賑わいが戻ることを願いながら希望の明日へ試行錯誤は続いていきます。