【宮城生まれの「移動する薬局」】「モバイルファーマシー」が「能登半島地震」被災地で活躍 「東日本大震災」きっかけに誕生
風邪や持病の悪化に対応できる薬が準備されていて、医師の処方に基づいて薬剤師が車の中で調剤を行う。
今回、宮城県薬剤師会の移動薬局も現地で活動した。
派遣された薬剤師の一人が、気仙沼市の武田雄高さん。
武田さんが「能登半島地震」の支援に入ったのは発災10日目。
武田雄高さん
「住民が避難しているところまでまだ道が開かれていなくて(移動薬局が)いけない状態。皆さんと打ち合わせして自衛隊車両に医療班の方々が乗って避難所に行く。少しずつ道を切り開きながらたどり着いて、そこで往診をして。必要であれば処方箋が発行される。それを(輪島市)門前町の役場の前にスタンバイしているモバイルファーマシーにメールで届けます。それを調剤します。調剤した薬を持った薬剤師が自衛隊車両に乗って患者さんの元に届け、服薬指導させて帰ってくるということを始めました」
そもそも移動薬局は「東日本大震災」で地域の調剤薬局が多く被災した経験をもとに、2012年宮城県薬剤師会が考案したものだ。
キャンピングカーをベースに、非常用の電源、通信手段などを確保しているほか、スタッフが寝泊まりもできる。
武田さん
「宮城県が初めて作り、今20台を超えるモバイルファーマシーが全国に配備されている」
宮城県薬剤師会によると、「能登半島地震」ではこれまでに12台の移動薬局が活動しているという。
武田さん
「東日本大震災で経験した私たちが行けば、今後こう言うものが必要になってくるだろうとか、 こういう支援が入ってくるから、 そこまでどういう繋ぎが必要か、見極めるのが必要だと思って動いていました」
「東日本大震災」では、自身が営む薬局も被災した武田さんだったが、支援物資の薬を連絡船が途絶え孤立した大島にボートを使って届けたという。
また、備えは日頃からできる。
武田さん
「災害バッグを持って逃げようと決めているのであれば、そこに10日くらいの薬は別に置いておく。薬は2、3年という消費期限がある」
武田さんは、「お薬手帳」の画像をスマートフォンに保存するなどしてほしいと、呼びかけている。