「被爆者であることをすごく呪った」小峰秀孝さん死去 語り部で原爆の恐怖や戦後の差別など伝える《長崎》
長崎の被爆者で被爆者団体「長崎原爆青年乙女の会」会長の小峰 秀孝さんが先月、亡くなっていたことがわかりました。
83歳でした。
4歳の時、爆心地から1.5キロで被爆した小峰 秀孝さん。
両手両足、腹部にヤケドを負い、壮絶ないじめや差別を経験してきました。
(被爆者 小峰 秀孝さん)
「頑張って生きようと思うけど、どこかで抑えられバッシングを受け、
“被爆者” であることをすごく呪った」
同じ苦しみを誰にも味わってほしくないと、1996年に自叙伝を出版。
長崎の被爆者運動の源流となった団体「長崎原爆青年乙女の会」では、2017年から会長を、19年からは長崎原爆被災者協議会の副会長も務めてきました。
今年に入ってからは、自身の体験が描かれた「まんが」を、AIを活用した動画にして公開。
被爆80年に向けたプロジェクトです。
小峰さんも精力を傾けてきました。
(動画音声)
「今思えば、私の人生は原爆とのたたかいでした。
原爆は、いつも闇の中へ私を引きずり込もうとします。
しかし、そうはならなかった。
それは…
生きろ!(という母の声)…
人間が原爆より強いからです」」
(被爆者 小峰 秀孝さん)
「これで私の代わりを “紙芝居” が子どもたちに(語り部を)やってくれるのかなという思いで、大変うれしく思う」。
6月まで被爆講話などを続けてきましたが、先月24日に食道がんのため、亡くなったということです。
83歳でした。
親交の深かった被災協副会長の横山 照子さんは…。
(被爆者 横山 照子さん)
「一生懸命頑張って頑張って、修学旅行生にも話して、言いたくないことも言ってきた。本当に残念」
ノーベル平和賞の受賞については、小峰さんは入院先の病院で家族から伝えられたそうです。
(被爆者 横山 照子さん)
「“よかったね” と、とてもうれしくされていた。その時は食事も全くできない状況だったので、きつい中で喜んでくれていた。受賞はまだ第一歩だと。皆さん、後押ししてください。小峰さん本当に頑張るからねと、小峰さんには言いたい」
(被爆者 小峰 秀孝さん)
「みんなが助け合って、思いやりを持って生きていけばもしかしたら世界から戦争、核兵器がなくなるかもしれない」
被災協では今後、小峰さんの「しのぶ会」を開く予定だということです。