「届いていないのでは?」アメリカ証言ツアーから見つめ直す 被爆地のメッセージ伝え方《長崎》
「核の脅威」が高まる中、被爆者のいない時代も迫っています。「被爆地のメッセージをどう伝えるか」。被爆者と被爆2世・3世の3世代が参加したアメリカでの証言ツアーから見つめ直します。
被爆3世 山口 雪乃さん
「(直接体験していないが)SNSなどさまざまな方法で伝えられる。だから活動を続けることにした」
被爆者の体験や思いを次の世代が。
被爆2世 井原 和洋さん
「どのようにより良い、より平和な世界を作っていくかみんなで考えたい」
自分たちの方法で伝えていきます。
長崎の被爆者3人が核大国・アメリカの3つの都市を巡った証言ツアー。そこには、被爆2世、そして3世も参加していました。
「被爆者のいない時代」が迫る中、「どうすれば思いが伝わるのか」。模索しながら旅を続けました。
被爆2世の井原 和洋さん 65歳。
井原さん
「私は戦争体験はない。被爆者の証言を語るのはとても難しいが、増川さんの代わりに
体験を皆さんと共有したい」
講演では、持病の悪化で直前にアメリカ行きを断念した増川 雅一さんの原稿を代読し、がんや後遺症との苦しい闘病生活などを語りました。
井原さん
「私にとって原爆は78年前の 過去のことではなく、今も続く現実です」
長崎出身で東京の大学に通う山口 雪乃さん 20歳は、被爆3世として取り組む核兵器廃絶に向けた活動を紹介。
3世代のメンバーは、アメリカで2週間、“対話”を繰り返しました。アメリカの市民に、「核兵器」の時代を終わらせるという当事者意識を持ってもらうためです。
学生
「アメリカが加害者でもあるのに核兵器の問題はどこか遠くの国の話のように
感じていた。だからこそ、使われればどんな影響があるのかを知り、
たくさん対話ができてよかった」
「核廃絶に向かって前進、変化できるかは私たちにかかっている。誰かがやると、
ただ座って待ってちゃいけない」
ただ、“対話”は最初から順風満帆だったわけではありません。