「救えたはずの人命 悔しさ今も」雲仙普賢岳大火砕流から33年 火山学者が未来へ “災害の記録”《長崎》

雲仙普賢岳の大火砕流から33年。
当時、最前線で対応にあたった、89歳の研究者が1冊の本を出版しました。
災害の記録を次の世代へ、継承への思いを聞きました。
▼“減災”につなげる専門家の知識を本に
太田 一也さん 89歳。九州大学の名誉教授で、雲仙の山々を長年研究してきた火山の専門家です。
(九州大学名誉教授 太田一也さん)
「有史以前からの雲仙火山の地質や地学的な歴史をまとめた。非常に雲仙火山が特異であると(わかる)」
今年3月、研究成果をまとめた本「雲仙火山-地形・地質と火山現象-」を出版しました。
江戸時代からの噴火や地震の記録平成の噴火のメカニズムなどが詳しく綴られています。
(九州大学名誉教授 太田一也さん)
「橘湾の地震がだんだん普賢岳のほうに近づいてくる。これは最後には島原に来ると懸念していたら、普賢岳が噴火した」
▼訴え続けた土石流や大火砕流の危険性
1990年11月、198年ぶりに噴火した雲仙普賢岳。
太田さんは九州大学島原地震火山観測所の所長として、観測の最前線にいました。
刻一刻と変化する山の状況を把握し記録。自治体に助言をし、報道機関を通して住民にも直接、現状を伝えました。
(大火砕流発生8日前の太田一也さん)
「特に心配なのは、火山灰がものすごく積もっている。これが豪雨の時に流れ下ると、今まで以上の土石流発生の危険が高まっている」
火砕流が繰り返し発生するようになると、その危険性を訴え、避難勧告が出された区域には入らないよう呼びかけました。
(大火砕流発生2日前の太田一也さん)
「今まで規制された区域に報道機関も含めて防災担当者も入っている。それは絶対に避けてほしい」
▼「死ななくてよかったのに亡くなってしまった」
しかし、1991年6月3日。
大規模な火砕流が発生し、避難勧告区域内で取材を行っていた報道陣や警戒にあたっていた地元消防団員ら43人が犠牲に。
多くの人の命が失われ、今も、悔しさが残ると話します。