「本当に困った人たちを助けるのが政治」五輪出場や八戸戦争、自民離党…駆け抜けた90年 元農相・田名部匡省さん死去を悼む声
元農林水産大臣の田名部匡省さんがきのう未明、亡くなりました。
田名部さんは生前「本当に困った人たちを助けるのが政治」と述べ90歳の人生を駆け抜けました。
田名部匡省さんはきのう未明八戸市内の病院で肺炎が原因の敗血症性ショックで亡くなりました。
90歳でした。
喪主を務める次女の田名部匡代参議院議員は父を支えた県民に感謝した上で…。
★田名部さんの次女 田名部匡代 参議院議員
「波瀾万丈の政治家としての人生だったと思いますけど、本当にたくさんの県民の皆様が常に応援してくださって支えて下さって励まして下さったことで、父の人生は悔いのない充実した幸せな人生になったと、政治家としてやりたいことを全うできたと思っています」
田名部匡省さんはアイスホッケーの選手や監督として3回冬季オリンピックに出場しました。
★県アイスホッケー連盟 橋本昭一会長
「田名部匡省さんから教わったものをつくってもらったものを、なんとか次の世代につなげていきたいなと思っております」
八戸市出身の田名部さんは県議会議員を2期務めたあと、1979年の衆議院選挙で自民党から出馬し初当選しました。
同じ地盤の大島元衆議院議長と「八戸戦争」と呼ばれる激しい選挙戦を繰り広げました。
★大島理森 元衆議院議長
「厳しく激しく競わしていただきました」
「田名部匡省先生のお姿が私にとりましては、政治家として人間として私自身の努力の糧であった」
国会議員としては衆議院6期、参議院2期の通算29年間国政に携わりました。
1991年に宮沢内閣で農林水産大臣に就任し、コメの部分的な輸入解禁を決めたウルグアイ・ラウンドの交渉にあたりました。
1993年に自民党を離党してからは非自民の立場で二大政党制の実現をめざしました。
★田名部匡省 代議士(当時)
「本気で改革するのでなければもういっぺん党が割れてもいいんじゃないか」
94年に新生党に入党し発展的に結成された新進党に参加します。
新進党の解体に伴い98年に政治団体「青森県民協会」を結成。
2009年に民主党が政権交代を果たしたとき県連代表を務めていました。
翌年の参議院選挙に出馬せず国政を退きました。
訃報に八戸市民は…。
★八戸市民
「残念ですね」
「すごくいい人でしたよね」
「ここまで長生きしてもらってよかったです」
★宮下知事
「今の本県の農林水産業の発展の礎を築いた方だと認識をしています」
「改めてその功績に深く敬意を表しご冥福をお祈りしたい」
葬儀は近親者のみで執り行い後日お別れの会を開く予定です。
★田名部匡省さん
「本当に困る人たちのことを助けるのが政治なんだよ」